「アウグスト・クビツェク」の版間の差分

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'''アウグスト・クビツェク'''(August Kubizek,Kubizek, [[1888年]][[8月3日]] - [[1956年]][[10月23日]])は、[[オーストリア]]の[[指揮者]]。 [[アドルフ・ヒトラー]]の青年時代の親友。アドルフ・ヒトラーの青年期を良く知る人物として、その回想録は非常に重要である。
1888年リンツで出生。1905年に[[リンツ]]の歌劇場でヒトラーと知り合って以来、親友になる。それから1908年に[[ウィーン]]で別れるまでの約3年間ヒトラーと友人であり続けた。クビツェク自身は[[オーストリア=ハンガリー帝国]]、[[マリボル]]の指揮者になるが、[[第一次世界大戦]]の影響で失職。戦後は役場で公務員として勤める。1938年には[[ナチス・ドイツ|ドイツ]][[総統]]となっていたヒトラーと再会。[[第二次世界大戦]]後は青年期ヒトラーを描いた回想録を出版。この回想録は記述ミスなどに批判があるが、この時期のヒトラーを詳細に記した数少ない資料として貴重である。1956年に[[エファーディング]]で死去。
 
1888年[[リンツ]]まれる。1905年に[[リンツ]]の歌劇場でヒトラーと知り合って以来、親友になる。それから1908年に[[ウィーン]]で別れるまでの約3年間ヒトラーと友人であり続けた。クビツェク自身は[[オーストリア=ハンガリー帝国]]、[[マリボル]]の指揮者になるが、[[第一次世界大戦]]の影響で失職し、戦後は役場で公務員として勤める。1938年に[[ナチス・ドイツ|ドイツ]][[総統]]となっていたヒトラーと再会した。[[第二次世界大戦]]後青年期ヒトラーを描いた回想録を出版した。この回想録は記述ミスなどに批判があるが、この時期のヒトラーを詳細に記した数少ない資料として貴重である。1956年に[[エファーディング]]で死去した
戦後、連合国将校が彼に対して設問を行った際、「なぜあなたは再会した時、彼を殺そうとしなかったのか」と聞いた所、彼は「友人だからさ」と答えたという。
 
戦後、連合国将校が彼に対して設問を行った際、なぜあなたは再会した時、彼を殺そうとしなかったのかと聞いた所、彼は友人だからさと答えたという。
==邦訳文献==
 
*アウグスト・クビツェク 『アドルフ・ヒトラーの青春―親友クビツェクの回想と証言』 橘正樹訳、[[三交社]] 2005年
==日本語訳文献==
**別訳版 『アドルフ・ヒトラー 我が青春の友』 [[船戸満之]]・宗宮好和訳、MK出版社、2004年
*アウグスト・クビツェク 『アドルフ・ヒトラーの青春―親友クビツェクの回想と証言』 橘正樹訳、[[三交社]] 2005年
**別訳版 『アドルフ・ヒトラー  我が青春の友』 [[船戸満之]]・宗宮好和訳、MK出版社、2004年
 
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[[Category:オーストリアの人物]]
[[Category:リンツ出身の人物]]
[[Category:アドルフ・ヒトラー]]
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