「制限主権論」の版間の差分

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'''制限主権論'''(せいげんしゅけんろん)は、[[1968年]]に[[ソビエト連邦|ソ連]]が[[チェコスロバキア]]に対する軍事介入([[プラハの春]])を正当化するために持ち出した論理であり、[[社会主義]]陣営全体の利益の為には、そのうち一国の[[主権]]を制限しても構わないという考え方のことである。この時のソ連指導者・[[レオニード・ブレジネフ]]の名前から'''ブレジネフ・ドクトリン'''とも称される。
 
[[1980年代]]に入り、[[ミハイル・ゴルバチョフ]]は[[新思考外交]]を展開するなか、[[ベオグラード宣言]]で制限主権論を否定し、東欧各国の自主性を認めた([[フランク・シナトラ]]の曲名「[[マイ・ウェイ]]」にちなんで'''シナトラ・ドクトリン'''と言われることもある)。
 
その後はソ連からの干渉を気にせずに東欧諸国は共産党体制の改革を進めることができ、結果的に改革ではなく、体制転換をもたらした[[東欧革命]]につながった。