「反文学論」の版間の差分

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*[[1970年代]]に、アメリカから帰ってきた柄谷が[[東京新聞]]で手がけた時評を一冊の本にまとめたもの。
*[[中上健次]]を高く評価している。
*『価値について』という章の中で、日本文学の[[小説]]中心主義への疑問を投げかけている。[[スポーツ新聞]]が当時実質的には[[野球]]の新聞であるのと同様に、[[文芸誌]]は実質的には(文学の様式には他に[[]][[戯曲]]などがあるのに)小説の雑誌になってしまっている。「[[唐十郎]]の劇と小説」という批評文のなかで「私は小説が嫌いだ。小説が自明であるような近代の認識論的布置が嫌いで、それを切り裂きたい」などと宣言したことにもつながる認識がここでも表明されていた。後の、『新現実』という雑誌での大塚英志との対談でも、「自分の文芸批評は小説に価値を置く[[近代]]への批判であったが、小説が没落したからやる意味がなくなった」と語っている<ref>『新現実』誌を見よ</ref>
*[[ブリース・バラン]]の「言語について何も言わなかった哲学者でも、言語論を持っている」という言葉を紹介して「言語についていつも語っている者のほうに、むしろそれが欠けているかもしれない」と自説を付け加えている。
<ref>本著参照</ref>