「三の丸神社」の版間の差分

(岸和田市の「三の丸神社」再立項。修正・補足などあれば宜しく。)
 
社伝によれば[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[延元]]元年([[1336年]])に[[楠木正成]]の一族である和田正儀が[[岸和田城]](岸和田古城)の守護のため城中に創建したとされる<ref name="kisibura">{{Cite news|title=三の丸神社|url=http://kishibura.jp/blog/rekishi/2008/10/post-8.html|newspaper=岸和田ボランティアガイドのれ・き・し ぶら|date=2008-10-19|accessdate=2011年5月21日}}</ref>。なお、この和田正儀を正成の子である[[楠木正儀]]と同一人物と見る説もあるが、1336年には楠木正儀はまだ約6歳であり、別人説もある。
 
[[寛永]]17年([[1640年]])に[[岡部宣勝]]が[[岸和田藩]]初代藩主として入城した後もそのまま置かれていたが、[[元禄]]16年([[1703年]])に3代藩主・[[岡部長泰|長泰]]が社を三の丸に移すとともに[[京都]]の[[伏見稲荷大社]]を[[勧請]]。このため「三の丸神社」と呼ばれるようになったという<ref name="kisibura"/>。
 
なお、その際に行なわれた稲荷祭が現在の[[岸和田だんじり祭]]の原型とも伝えられている<ref name="danjiri">{{Cite news|title=だんじり祭の歴史|url=http://www.city.kishiwada.osaka.jp/site/danjiri/rekishi.html|newspaper=大阪府岸和田市公式ウェブサイト:祭都きしわだ|date=2009-03-03|accessdate=2011年5月21日}}</ref>。また、現在では岸城神社・岸和田天神宮・弥栄神社で行なわれているだんじり祭での「宮入り」はかつては「城入り」と言われ、[[明治維新]]ごろまでは三の丸神社で行われていた<ref name="kisibura"/>。
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