「サイモン・フィリップス」の版間の差分

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宅銅鑼 (会話 | 投稿記録)
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== 経歴 ==
=== 少年時代 ===
父親シド・フィリップスはイギリス[[ジャズ]]界において黎明期のプロ・[[クラリネット]]奏者であり、50代の頃に生まれたサイモンとは孫と呼べるほどの年齢差があった。3歳からドラムを始め、6歳の頃には父のバンドでBBCの録音に参加するなど積極的な活動を行っていた{{要出典|date<ref name=2011年4月}}"pci1"> [http://www.prosoundcommunications.com/interviews/simon_phillips/page1.html Pro Sound Communications Inc]日本語版 サイモン・フィリップス インタビュー</ref>。12歳になると学業よりも音楽活動を中心とした生活になっており、この頃からプロとなる。本人の弁では「フルタイムで演奏の仕事をし、パートタイムで学校へ通っていた」{{要出典|date<ref name=2011年4月}}"pci1"></ref>
 
=== ハードロック界での成功 ===
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[[1988年]]、[[ミック・ジャガー]]のバックバンドとして本家[[ローリング・ストーンズ]]に先立って[[東京ドーム]]のステージに立つ。1992年には[[X JAPAN]]の[[TOSHI]]のファースト・ソロ・アルバム『made in HEAVEN』にも全面的に参加。
 
同年[[TOTO (バンド)|TOTO]]のドラマーのジェフ・ポーカロが死去。追悼ツアーにジェフの代役として参加し、その後、正式加入となった。またこの頃イギリスのロンドンから[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ロサンゼルス]]へ移住している{{要出典|date<ref name=2011年4月}}"pci1"> </ref>
 
これまでパーマネントなバンドメンバーとして活動することがほとんどなかったサイモンは、TOTOでの活動について『Player』誌2008年5月号のインタビューで「TOTOのメンバーは非常にプロフェッショナルな実力派プレーヤの集団である」ことを正式メンバーで参加した理由として語っている。
 
病気に倒れた[[マイク・ポーカロ]]支援のために[[2010年]]からの再集結にも参加している。
 
=== TOTO解散以降 ===
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[[マイク・オールドフィールド]]のアルバム「Crises」から本格的にエンジニアとしての活動を開始。
 
自宅には[[Pro Tools]]システムを完備したレコーディング・スタジオがあり、多くをこのスタジオで作業している{{要出典|date<ref name=2011年4月}}"pci1"></ref> <ref name="pci2"> [http://www.prosoundcommunications.com/interviews/steve_lukather/page2.html Pro Sound Communications Inc]日本語版 スティーヴ・ルカサー インタビュー</ref>
 
== 外部リンク ==
*[http://www.toto99.com Toto - Official website] - TOTOの公式サイト(英語)
 
== 脚注 ==
<references/>
 
{{TOTO}}