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'''ラキ火山'''(ラキかざん、
ラキは[[グリ
[[934年]]に大規模に[[噴火]]している。[[1783年]]にはその横のグリームスヴォトン火山と相次ぎ噴火して、大量の[[溶岩]]と[[火山灰]]を発生させた。
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== 1783年の噴火 ==
[[1783年]][[6月8日]]、[[地下水]]が[[マグマ]]に触れて[[水蒸気爆発]]が発生し、長さ26kmにわたり130もの[[火口]]が誕生した。しかし噴火規模は次第に収まり、[[プリニー式噴火]]
この噴火はスカフタ川の炎
ラキ火山近郊のグリ
噴煙は噴火対流によって高度15kmにまで達した。この粒子の影響で、北半球全体の気温が下がった。[[ヨーロッパ]]では「ラキのもや」と呼ばれた。[[イギリス]]でも火山灰が降り、1783年の夏は「砂の夏」(sand-summer)と呼ばれた<ref>[http://www.bbc.co.uk/timewatch BBC Timewatch: "Killer Cloud", broadcast 19 January 2007]</ref>。
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=== アイスランド国内への影響 ===
この噴火は、アイスランドには壊滅的な被害をもたらした。噴火後の飢饉で21%の住民が死亡した<ref>Gunnar Karlsson (2000), ''Iceland's 1100 Years'', p. 181</ref>。そして[[ヒツジ|羊]]の約80%、[[ウシ|牛]]の50%、[[ウマ|馬]]の50%が、放出された800万トンものフッ素化合物により[[歯のフッ素症]]と[[骨のフッ素症]]が原因で死んだ<ref>http://www.sciencemag.org/cgi/content/summary/306/5700/1278</ref><ref>[http://www.bbc.co.uk/timewatch BBC Timewatch: "Killer Cloud", broadcast 19 January 2007]</ref>。
教区聖職者{{Interlang|is|Jón Steingrímsson}}は「eldmessa(火の説教)」で有名になった。溶岩流が襲った時、小さな町キルキュバイヤルクロイストゥルの全住民が礼拝中だった。人々が[[教会]]に留まっていると、溶岩は町の近くで止まった。この事件をSteingrímsson自身が次のように伝えている。
{{Quote|数週間前、空から多くの毒が降って来た。灰、[[火山毛]]、[[硫黄]]と[[硝酸カリウム]]を含んだ[[雨]]が混ざり合い、地面に吸い込まれていった。[[家畜]]が牧草地、草の上を歩き回るだけで、口、鼻、脚が山吹色に染まり、赤肌となった。水は生暖かくなり、水色に染まり、底の砂利は灰色になっていった。あらゆる植物は枯れ、腐り、灰色になり、その範囲は燃え広がるが如く広がり、居住地域に迫ってきた<ref>Rev. Jón Steingrímsson, ''Fires of the Earth, The Laki Eruption (1783-1784)'' ISBN 9979-54-244-6. Jón Steingrímssonの自伝は英訳もされている ''A Very Present Help in Trouble: The Autobiography of the Fire-Priest'' ISBN 0-8204-5206-8.</ref>。}}
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人々は硫黄化合物のガスを吸い込み、肺の柔組織が腫れ上がったため、呼吸困難になった。フランス中部の[[シャルトル|シャルトル市]]の死者数は8月と9月に40人ずつ増加し、局地的死亡率が5%ずつ上昇した。一方イギリスの記録では、屋外労働者の死者が増加し、[[ベッドフォードシャー|ベッドフォードシャー州]]、[[リンカンシャー州]]など東部沿岸の死亡率が2~3倍になった。8月、9月にイギリスで中毒死した人は23,000人と推測されている。
このもやは[[雹]]を含んだ激しい雷雨を引き起こし、秋に収まるまでに多くの牛が死んだ。さらに[[1784年]]の冬には寒波をもたらした。[[ハンプシャー]]の
ラキ火山の影響は、その後数年にわたってヨーロッパに[[異常気象]]をもたらした。フランスではこの影響で、[[1785年]]から数年連続で食糧不足が発生した。その原因は、労働者数の減少、旱魃、冬と夏の悪天候であった。[[1788年]]には猛烈な嵐が起こり、農作物が大被害を受けた。これにより生じた貧困と飢饉は、[[1789年]]に[[フランス革命]]の大きな原因の1つになった。
なお、ラキ火山の噴火は異常気象の原因の1つにすぎない。
=== 北アメリカへの影響 ===
北アメリカの[[1784年]]の冬は、長く、寒かった。[[ニューイングランド]]では大雪になり、[[チェサピーク湾]]では氷点下の日が記録的に続いた。[[チャールストン
=== その他地域への影響 ===
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{{Quote|[[1783年]]の夏の数ヶ月、太陽が北半球を暖めるはずだった時、全ヨーロッパと北アメリカの大部分が霧に覆われていた。この霧はなかなか晴れなかった。その霧は乾燥していたため、日光が当たって雨に変わるということもほとんどないようだった。その霧を通ると、日光は非常に弱くなった。レンズで光を集めても、茶色の紙を燃やすだけの熱量にはならなかった。そのため、夏効果で地球が暖められることはほとんどなく、地面は早くから凍りついた。そのため、初雪さえ融けることがなく、雪は降り積もっていった。そのため気温はますます下がり、風も強くなり、1783年~1784年の冬は過去にないほどの厳しい寒さになった。
この霧の原因はまだ確認されていない。[...]あるいは、はるかアイスランドの[[ヘクラ山|ヘクラ]]や、その他の島の火山からもたらされた可能性もある。その煙が北半球に広がっていくことがあるのかどうかは、まだよく分かっていない<ref>Benjamin Franklin - "Meteorological imaginations and conjectures" in ''Mem. Lit. Philos. Soc. Manchester'' 2, 373–377 (1784).</ref> (なお、現在の記録では、ヘクラは1783年には噴火しておらず、その前の噴火は[[1766年]]のことだった。ヘクラはラキの火口から東へ45マイルの位置にあり、グリームスヴォトン火山は75マイル北東の位置にある。31マイル南東にある[[カトラ火山
== 脚注 ==
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{{Commonscat|Laki}}
* [[火山]]、[[火山の一覧]]
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* [[氷河湖決壊洪水]]▼
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* [[アイスランドの湖]]
* [[アイスランド沖の島嶼一覧]]
* [[プレートテクトニクス]]▼
▲* [[アイスランドの河川]]
* [[アイスランドの滝]]
* [[
* [[火山の冬]]
* [[夏のない年]]
▲* [[氷河湖決壊洪水]]
▲* [[プレートテクトニクス]]
* [[アイスランドプルーム]]
== 参考文献 ==
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