「表現主義 (建築)」の版間の差分
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建築における'''表現主義'''([[ドイツ語]]:Expressionismus、[[英語]]:Expressionism)は、[[20世紀]]初頭に[[ヨーロッパ]]で見られた建築様式である。多分野にわたる表現主義運動の一環として、[[1910年]]頃のドイツ語圏や[[北欧]]で始まった(同時期の[[オランダ]]にも[[アムステルダム]]派の運動があった)。初期の[[モダニズム]]建築が採用した材料の革新や社会の大衆化にともなう斬新なデザインに特徴がある。[[レンガ]]や[[鉄]]、[[ガラス]]などの大量生産によってもたらされた新たな技術的可能性にも着想を得ている。これらは[[映画]]などの視覚芸術における[[ドイツ表現主義]]運動と並行して展開された。
[[ファイル:Babelsberg Einsteinturm.jpg|thumb|right|アインシュタイン塔]]
== 概説 ==
表現主義建築の歴史において特筆に値する出来事としては、[[1914年]]に[[ケルン]]で行われた第1回[[ドイツ工作連盟]]展、[[ハンス・ペルツィヒ]]設計の[[ベルリン大劇場]](Großes Schauspielhaus)の[[1919年]]落成とその後の上演活動、[[ブルーノ・タウト]]を中心とした建築家たちによる往復書簡「ガラスの鎖」(Gläserne Kette)、そしてオランダのアムステルダム派の運動などが挙げられる。
主要な建築物は、表現主義建築のシンボルとも称される[[エーリヒ・メンデルゾーン]]作の[[アインシュタイン塔]]
当時の[[ドイツ]]は[[第一次世界
[[1925年]]までにタウトやメンデルゾーン、ペルツィヒは、視覚芸術における表現主義芸術家たちとともに[[新即物主義]](Neue Sachlichkeit)の運動へと転じていった。これはより実際的・実務的な方法論に基づくもので、表現主義初期の実験精神を捨て去るほどの方向転換であった。以降、表現主義の作風を堅守したのは[[ハンス・シャロウン]]などの少数派に限られる。[[1933年]]の[[ナチス党]]の政権掌握以降、表現主義は「[[退廃芸術]]」として非合法化され、運動それ自体は終息へ向かった。
[[ファイル:Chilehaus.jpg|thumb|right|チリハウス]]
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* アインシュタイン・タワー(エーリヒ・メンデルゾーン、1921年)
* チリハウス(フリッツ・ヘーガー、1924年)
* ヘキスト染色工場([[ペーター・ベーレンス]]、[[1920年]]-1925年)
* グルントヴィークス教会([[イェンセン・クリント]]、1921年-[[1940年]])
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