「反文学論」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m →小説への懐疑 |
|||
5行目:
[[1970年代]]に、アメリカから帰ってきた柄谷が[[東京新聞]]で手がけた時評を一冊の本にまとめたもの。大江健三郎の影響を脱して『[[枯木灘]]』を書いた[[中上健次]]が「得たもの」を称揚するところから始まっている。
===小説への懐疑===
『価値について』という章の中では、「[[エジソン]]は[[フランス]]に生まれていたら[[詩人]]になっていたはずだ」というエリック・ホッファーの言葉を引きながら、日本文学の[[小説]]中心主義への疑問を投げかけている。[[スポーツ新聞]]が当時実質的には[[野球]]の新聞であるのと同様に、[[文芸誌]]は実質的には(文学の様式には他に[[詩]]や[[戯曲]]などがあるのに)小説の雑誌になってしまっているとし、[[梶井基次郎]]の作品がなぜ詩とみなされず小説とみなされるのか
===言語論===
|