「鉄道事故」の版間の差分

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=== 1980年代 ===
{{See also|:en:List of rail accidents (1980–1989)}}
*[[1983年]][[6月5日]]
:[[ソビエト連邦]]南部の[[ヴォルゴグラード]]近郊で[[ヴォルガ川]]に架かる橋脚に客船が衝突。橋脚が移動したため折りしも走行してきた列車が転落。死者240~400名。
*[[1985年]][[8月3日]]
:[[フランス]]・[[ボルドー]]から150Km地点の単線で急行列車と普通列車が正面衝突。死者35名。事故原因は通信式による閉塞を駅の運転係が取扱いミスしたため。
*1985年[[8月31日]]
:フランス・アルジャントンシュールクルーズ[[:en:Argenton-sur-Creuse|{{en icon}}]]近郊で脱線した旅客列車に対向してきた貨物列車と衝突。43名が死亡。
*[[1986年]][[2月8日]]
:[[カナダ]]・[[アルバータ州]]ヒントン[[:en:Hinton, Alberta|{{en icon}}]]郊外で、[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]発[[エドモントン]]行の特急スーパーコンチネンタル号と貨物列車CN413号が正面衝突。スーパーコンチネンタル側21人、CN413号側2人の23人が死亡。直接な原因は、待避線におけるCN413号の乗務員の睡眠不足に伴う居眠りによる停止[[信号]]無視であったが、その後の調べで、[[カナディアン・ナショナル鉄道|カナダ国鉄]]が、死亡した乗務員の病状を放置していた上に、日本の[[デッドマン装置]]にあたるデッドマンズペダルに乗務員が故意に荷物を置くなどして機能していなかったこと、また、車掌が非常停止装置を利用していなかったことが発覚。([[:en:Hinton train collision]])
*[[1988年]][[3月24日]]
:[[中華人民共和国|中国]][[上海市|上海]]近郊で急行列車同士が正面衝突([[上海列車事故]])。日本の修学旅行生ら29名が死亡。原因は片方の列車運転手の信号無視とされたが、運転手はブレーキ故障と証言している。
*1988年[[6月27日]]
:フランスの[[ムラン]]から[[パリ]]間を走行していた列車の乗客が通過駅で降りようとして非常停止スイッチを作動させた。この時運転手が非常停止スイッチの解除手順を間違ったために下り勾配で列車が暴走。パリ・[[リヨン駅]]の地下ホームで車掌遅刻のために出発の遅れていた列車に衝突。死者56名。後の刑事裁判では運転手と車掌が有罪になったのも関わらず、違法に列車を止めた乗客が無罪になったため、フランス国鉄労組は抗議のストライキを決行した。([[:en:Gare de Lyon rail accident]])
*1988年[[7月8日]]
:南[[インド]]の[[ケララ州]]の湖[[:en:Ashtamudi Lake|{{en icon}}]]に掛かる鉄橋での急行列車が脱線し湖に転落。死者107名。([[:en:Peruman railway accident]])
*1989年[[5月12日]]
:アメリカ合衆国[[カリフォルニア州]]にあるカホン峠麓で貨物列車が速度超過のためカーブで脱線し横転。付近の住宅7棟に突っ込み、乗務員・住民合わせて4名が死亡。さらにこの事故の影響により同25日、事故現場の地下に巡らされていた高圧燃料パイプラインが破裂、吹き出した燃料が周辺の住宅地に飛散しながら引火して爆発し、住民2名が死亡した。事故原因は貨物の過積載によるブレーキの破損であり、事故後に積載量の虚偽申告があったことが判明している。さらに脱線の復旧工事の際、重機が地下2mに敷設されていたパイプラインを傷つけたことがパイプラインの破裂に繋がった。([[サンバーナーディーノ列車脱線事故]])
*[[1989年]][[6月3日]]
:[[ソビエト連邦]]の[[ウラル山脈]]山中の[[ウファ]]~アシア[[:en:Asha (town)|{{en icon}}]]の間で[[天然ガス#液化天然ガス|液化天然ガス]][[パイプライン輸送|パイプライン]]からガスがもれ爆発。偶然通りかかった列車2本が巻き込まれた。死者238名。([[:en:Ufa train disaster]])
 
=== 1990年代 ===