「モンパルナス駅」の版間の差分

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[[1855年]]にはフランス西部の鉄道会社数社が合併し[[西部鉄道 (フランス)|西部鉄道]]が発足した。モンパルナス駅は西部鉄道のパリに2つあるターミナルのうち、[[セーヌ川]]の左岸側に位置していたことから「西駅-左岸(Gare de l'Ouest - Rive gauche)」の別名でも呼ばれた。なお「右岸」駅は[[サン・ラザール駅]]である。
 
[[画像ファイル:Train wreck at Montparnasse 1895.jpg|thumb|200px|1895年の事故]]
[[1895年]][[10月22日]]にモンパルナス駅で起きた鉄道事故は、死亡者こそ1名であったとはいえ、鉄道史に刻まれる衝撃を残した。[[グランヴィル]]発モンパルナス行の列車([[蒸気機関車]]+[[荷物車]]2両、[[郵便車]]1両、[[客車]]12両)が、[[直通ブレーキ]]の動作不良のため減速できずに駅に進入した。機関車は[[車止め]]を乗り越え駅舎を突き破り、先端が約10m下のレンヌ広場の[[路面電車]]停留所に落下した。駅前で新聞を売っていた女性が駅舎の破片に当たり死亡した。また乗客2名、消防士1名、鉄道員2名の計5名が重傷を負った。事故の際に連結器が外れたため、客車はすべて駅内部にとどまっていた。事故現場を撮影した写真が2枚(右に掲げたものと反対側から写したもの)残っており、衝撃的な画像としてしばしば使用される。ロックバンド[[Mr.Big]]は1991年に発表したアルバム『[[リーン・イントゥ・イット]]』のジャケットにこの写真を使用した。
 
[[1900年]]には線路4本とホームが増設されたが、[[第一次世界大戦]]後にはそれでもホーム不足が深刻になってきた。そこで[[1929年]]に、当時の駅よりも南のメーヌ広場(現ビヤンヴニュ広場)とヴォージラール大通りの南側に到着列車用のメーヌ駅(Gare du Maine)が作られた。この位置はほぼ現在のモンパルナス駅の位置である。[[1934年]]にはメーヌ駅に出発用のホームも設けられ、長距離列車はメーヌ駅、近郊列車はモンパルナス駅と使い分けられるようになった。