「マルシリオ・フィチーノ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
WikitanvirBot (会話 | 投稿記録) m r2.7.1) (ロボットによる 追加: id:Marsilio Ficino |
入替えてみました |
||
1行目:
[[Image:Ficino3.jpg|thumb|200px|マルシリオ・フィチーノ ]]
'''マルシリオ・フィチーノ'''('''Marsilio Ficino''' [[1433年]][[10月19日]] - [[1499年]][[10月1日]])は[[イタリア]]・[[ルネサンス]]期の[[人文主義者]]、[[哲学者]]、[[神学者]]。メディチ家の保護を受け、[[プラトン]]などギリシア語文献の著作をラテン語に翻訳した。[[プラトン・アカデミー]]の中心人物。近年はルネサンスの芸術思想をはじめ、魔術思想、[[神秘思想]]の面など多方面で注目される思想家となった。
== 生涯 ==
メディチ家の侍医の子として生まれ、ラテン語・ギリシア語を学ぶ。[[コジモ・デ・メディチ]](1389年
[[中世]]ヨーロッパでは[[スコラ学]]のなかで[[アリストテレス]]は知られていたものの、[[プラトン]]については(『[[ティマイオス]]』などを例外として)
また、コジモが創立した私的なサークル、[[プラトン・アカデミー]]の中心となり、同サークルの活動により[[アンジェロ・ポリツィアーノ|ポリツィアーノ]]、[[ピコ・デラ・ミランドラ]]らに直接的に影響を与えた。
主な著作として『プラトン神学』 (''Theologia Platonica'', 1474) 、『愛について』 (''De Amore'', 1475)などがある。『愛について』は、プラトン『[[饗宴]]』の注釈書の形をとっており、そこで使われたアモル・プラトニクスという言葉が[[プラトニック・ラブ]](精神的な愛)の元になったという。ただし、現在でのプラトニック・ラブの概念とはかけ離れたものであった。▼
[[1473年]]に[[司祭]]に[[叙階]]された。主著『プラトン神学』 (''Theologia Platonica'', 1474) 、『愛について』 (''De Amore'', 1475)などを著した。
[[1498年]]、(メディチ家を追放した)[[ジロラモ・サヴォナローラ|サヴォナローラ]]を[[反キリスト]]として[[ローマ教皇庁]]に告発している。これは署名なしの文書によるが、作者はフィチーノと目されている。
1499年、フィレンツェ近郊のカレッジで死去。彼の功績は[[サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂]]に飾られた胸像とともに讃えられている。これは彼が同大聖堂の参事会員だったことも大きいであろう。▼
==思想==
フィチーノの人間観は次のようなものである。人間の魂は肉体に捕らえられている。人間の肉体と魂の一部(五感など)は動物と共通であるが、理性と知性を持つ点で動物と異なる。理性は五感から受け取った物事を分析、判断し、また想像力を働かせる能力である。また、知性は直接真理、[[イデア]]に到達し神の領域に近づく能力である。この意味で、人間は動物と神の中間にあり、様々な葛藤にさいなまれる不安定な存在であるが、理性によって現世で正しいことを行うとともに、知性によって真理と一体化することができる。
彼はまた神話を天上の力の表現として貴び、その[[占星術]]的寓意的解釈に努めた。たとえば、[[ウェヌス]]を人間性そのもの、[[ヘルメス]]を最初(もしくは[[ゾロアスター]]に次ぐ第二)の哲学者にして神学者、[[サトゥルヌス]]を人を知的探求に没頭させる存在として彼の宇宙論の主要な霊魂に位置づけた。
[[ヘルメス文書]](錬金術の書と勘違いされる場合が多いが、フィチーノの訳した文書はそうではない)の翻訳や実践的な占星術の研究も行っており、『[[三重の生について]]』 (''De Vita Triplici'', 1489)では惑星の力によって健康を得るすべなどを示した。
厳格なキリスト教の立場からは異端ともみなされかねない思想であったが、フィチーノ自身は神話や[[魔術]]、プラトン哲学は[[キリスト教]]と一致するものと考えて
▲1499年、フィレンツェ近郊のカレッジで死去。彼の功績は[[サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂]]に飾られた胸像とともに讃えられている。これは彼が同大聖堂の参事会員だったことも大きいであろう。
===プラトニックラブ===
▲
== 関連項目 ==
27 ⟶ 33行目:
*[[プロティノス]]
*[[ジョルダーノ・ブルーノ]]
*[[古代神学]]
== 参考文献 ==
|