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ガーナでも「ニャホ」は珍しい名前であり、また同国の名門サッカークラブ、[[アクラ・ハーツ・オブ・オーク]]の運営でもその手腕を発揮した<ref>http://www.accraheartsofoak.com/site/pages/executives</ref>ことで知られる国民的な有名人であるが、[[サッカー]]そのものの経験はほとんどない。
 
日本ではテレビ番組「トリビアの泉」で紹介され、それなりの知名度がある
 
[[2004年]]にニャホ=タマクローが協会評議会に対し構造批判を伝えるための私信を出していたが、その私信が協会評議会の反感を買ってしまう。協会評議会がニャホ=タマクローを告発する議事を作成し始めるが、ニャホ=タマクローは告発の差し止めを求めていた。だが結局は首都[[アクラ]]の[[高等裁判所]]により、『告発議事を作成し続けることが認められる』という判決が下されてしまい、ニャホ=タマクローは自らの意思で[[ガーナサッカー協会]]会長職を辞任した。