「ルンペンプロレタリアート」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[カール・マルクス]]は、『[[共産党宣言]]』や『[[ルイ・ボナパルトのブリュメール18日]]』において、[[プロレタリアート|無産階級]]や[[労働者階級]]の中でも[[革命]]意欲を失った極貧層を「ルンペンプロレタリアート」と定義した。中でも『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』でルイ・ボナパルト(後の[[ナポレオン3世]])の支持組織「12月10日会」の背景と構成を説明するくだりで、「ルンペンプロレタリアート」の「職業」を以下のように述べている。
{{Quotation|なんで生計を立てているのかも、どんな素性の人間かもはっきりしない、おちぶれた放蕩者とか、ぐれて冒険的な生活を送っているブルジョアの子弟とかのほかに、浮浪人、兵隊くずれ、前科者、逃亡した漕役囚、[[ペテン師|ぺてん師]]、[[香具師]]、ラッツァローニ<ref>岩波文庫版では「立ちん坊」、大月文庫版では「イタリア語で乞食」とある。</ref>、[[すり]]、[[手品師]]、[[博打|ばくち打ち]]、[[女衒|ぜげん]]、女郎屋の亭主、荷かつぎ人夫、文士、[[風琴]]ひき、くず屋、鋏とぎ屋、鋳かけ屋、[[乞食|こじき]]、要するに、はっきりしない、ばらばらになった、浮草のようにただよっている大衆、フランス人が[[ボエーム|ラ・ボエム]]と呼んでいる連中|『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(大月文庫版)p.89~90}}
つまり、「ぐれて冒険的な生活を送っているブルジョアの子弟」に見られるように極貧層全般を指すのではなく、どちらかと言うと(いわゆる[[的屋]]などを含む広義の)[[ヤクザ]]や[[犯罪者]]などの[[アウトロー]]を指す用語であった。こうした「ルンペンプロレタリアートは信用ならない」「[[反革命]]の温床になる」と『共産党宣言』にて位置づけられ、[[共産主義]]運動から退けた。
 
この背景にはルイ・ボナパルト(後の[[ナポレオン3世]])の[[クーデター]]が[[フランス第二共和政]]を崩壊させてしまったことから来るマルクスの憤りが含まれている。ルイ・ボナパルトの軍隊支持者にはマルクスが「ルンペンプロレタリアート」と呼ぶ者が多く含まれていた<ref>同上p.57~58</ref>し、何よりルイ・ボナパルト自身が[[ブルジョア]]と言うより寧ろ陰謀家的・冒険的なルンペンプロレタリアートに近い存在だったことから、[[フランス第二帝政]]をルンペンプロレタリアートによって支えられた体制として捉えていた
 
これに対し、ルンペンプロレタリアートを革命の基盤として評価したのが、[[ミハイル・バクーニン]]である。バクーニンは、ルンペンプロレタリアートは貧困に苦しむ「下層の人々」であるが故に「ブルジョワ文明による汚染をほとんど受けておらず」、だからこそ「社会革命の火蓋を切り、勝利へと導く」存在でと捉えた<ref>[http://www.marxists.org/reference/archive/bakunin/works/1872/karl-marx.htm On the International Workingmen's Association and Karl Marx], Mikhail Bakunin, 1872.</ref>。