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{{世界遺産概要表
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[[Fileファイル:Koelner Dom.jpg|thumb|left|180px|right|正面外観]]
[[ファイル:ケルン3999.JPG|thumb|180px|ケルン市の姉妹都市である京都市に寄贈された大聖堂飾り破風、京都市左京区岡崎公園]]
[[Imageファイル:Koelner Dom Innenraum.jpg|thumb|left|180px|right|内観]]
[[Image:Plan.cathedrale.Cologne.png|thumb|right|180px|平面図]]
 
'''ケルン大聖堂'''(ケルンだいせいどう、[[ドイツ語|独]]:'''Kölner Dom''')は、[[ドイツ]]の[[ケルン]]にある[[ゴシック様式]]の[[大聖堂]]。正式名称は、'''ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂'''('''Dom St. Peter und Maria'''。聖ペトロとマリア大聖堂の意)。ゴシック様式の建築物としては世界最大であり、現在は[[カトリック教会]]の管理下にある。
 
== 歴史 ==
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[[2005年]][[8月18日]]には[[ローマ教皇]][[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]が自ら大聖堂を訪問している。
 
== 建築様式 ==
[[File:Koelner Dom.jpg|thumb|left|180px|正面外観]]
[[Image:Koelner Dom Innenraum.jpg|thumb|left|180px|内観]]
 
==建築様式==
1248年、[[カロリング朝]]のケルン大聖堂が大火で焼失してしまった後、すぐに新大聖堂の定礎が行われた。新しい建築は、それまでアミアン、バリ・ノートル・ダム、ボーヴェなどの大聖堂を見て回り、ゴシックの技術と造形を学んできた[[ゲルハルト・フォン・ライル]]([[:de:Meister Gerhard|''Gerhard von Rile'']])と呼ばれる工匠によって構想された。彼の集めた各地の[[ゴシック建築]]の記録は、当時、同時代のフランス人建築家ヴィラール・ド・オンヌクールの画帖に匹敵するものといわれてきたが、今日は残っていない。
 
石工出身のゲルハルトはその深い知識と観察にもとづき、半円形平面に放射状祭室の設けられた内陣は[[アミアン大聖堂]]より、五廊式の平面構成はブールジュやトロワの大聖堂から、そしてトリフォリウムの形状はサン・ドニの会堂からなど、新しい大聖堂にフランスのゴシックの成果を応用した。このように主要な構造技術は、ほとんどフランスのゴシック建築を学んで採用されている。[[アミアン大聖堂]]を範として機械的なまでに徹底された正確な[[レイヨナン式|レヨナン芸術]](建築材料のもつ物質性を取り去り、より上品で優雅な超越的な空間の様式をもつ芸術)を追求した。
 
ところが大聖堂の工事は遅々として進まず、内陣が完成するのは十四世紀に入り、1322年のことであった。他の大聖堂と異なり、この工事においては当初の計画がほぼ継続されており、それゆえゲルハルトの建築観がそのまま実現されることになる。しかし、西側ファサードの塔が完成するのは、前の建築物が消失してから600年程も経過した十九世紀、ゴシック・リバイバルの時代になってからであった<ref>三宅理一『ドイツ建築史<上> 建築各国史-2』(1981 (1981) より</ref>。
 
ケルン大聖堂は、平面や様式などの点において[[アミアン大聖堂]]を模範として作られているが、中央の身廊の縦と横の長さの割合が近似的であることなどからも見て取ることができる。また平面的には、ゴシック建築によくある身廊と翼廊が交差した十字架の形をしており、脇には二つの通路が作られ、東奥には回廊が作られている。通路には「シュヴェ」と呼ばれる7つのチャペルが放射状に突き出している。立面的には、ウルム大聖堂や[[シュテファン大聖堂]]などのようにドイツ的な性質を持つ、大きく突き出た尖塔がそびえ立っているのがとても特徴的である。
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側壁の高部にはクリアストリーと呼ばれる採光用の高窓が並び、低い部分には装飾の多い[[ステンドグラス]]がはめこまれ、その下にはトリフォリウムと呼ばれる丸い[[アーチ]]の段があり、全体は高い柱心で結合されている。アーチ型屋根は4つの部分から構成されている。回廊には無数の19世紀に贈られたステンドグラスが窓に飾られているが、中でもバイエルン王ルードウィヒ1世が奉納した「バイエルンの窓」と呼ばれる5枚のステンドグラスが有名である。そのうちの一つには、新約聖書を記した[[マタイ]]、[[マルコ]]、[[ルカ]]、[[ヨハネ]]の4人が、福音書を記した順に左窓から並ぶものなどもあり、その当時のドイツの画家の芸術性の高さを象徴している。19世紀までは、聖クリストファーの大きな石像が聖堂への入り口に存在していた。
 
[[ファイル:Koeln RdFlug 1.JPG|thumb|300px|right|中央駅と大聖堂]]
 
===主要寸法===
:* 全体の縦幅:144.58m 58 m 、全体の横幅:86.25m25 m
:* 南塔の高さ:157.31m 31 m 、北塔の高さ:157.38m38 m
:* 建築面積:7,914 m²
[[Imageファイル:Plan.cathedrale.Cologne.png|thumb|right|180px|none|平面図]]
 
==世界遺産==
===登録基準===
{{世界遺産基準|1|2|4}}
{{-}}
 
== アクセス ==
[[ドイツ鉄道]](DB:Deutsche Bahn)(DB:Deutsche Bahn) [[ケルン中央駅]]前にある。列車でケルンに近づく際に車窓から見えるケルン大聖堂は壮観。
[[ファイル:Koeln RdFlug 1.JPG|thumb|300px|rightnone|中央駅と大聖堂]]
{{-}}
 
== ギャラリー ==
<gallery>
Imageファイル:Koeln Hohenzollernbruecke.jpg
Imageファイル:Koelner Dom bei Nacht 1 RB.JPG
Imageファイル:Kölner Dom Innen.jpg
Imageファイル:Koelner dom blick nach osten.jpg
Imageファイル:Koelner Dom - Bayernfenster 02.jpg
Imageファイル:Koelner Dom - Bayernfenster 04.jpg
Imageファイル:Cathedral 2 by andy205.jpg
Imageファイル:Cologne Cathedral Wiki.jpg
</gallery>
 
== 関連項目 ==
[[ファイル:ケルン3999.JPG|thumb|180px|right|ケルン市の姉妹都市である京都市に寄贈された大聖堂飾り破風京都市左京区 岡崎公園]]
*[[ドイツの世界遺産]]
*[[世界遺産の一覧 (ヨーロッパ)|世界遺産の一覧]]
*『黒のトイフェル』</br> - ケルン出身の小説家[[フランク・シェッツィング]]が書いた、13世紀半ば大聖堂建設時のケルンの街を舞台にしたミステリー(工事中の[[俯瞰図]]などの記載あり)。
 
== 脚注 ==
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{{Reflist}}
<references />
 
 
== 外部リンク ==