「デビッド・スタインマン」の版間の差分

フロリアノポリス橋(通称)をエルシーリオ・ルース橋(正式)に修正
(フロリアノポリス橋(通称)をエルシーリオ・ルース橋(正式)に修正)
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== ロビンソンとスタインマン ==
[[Image:Ponte Hercilio Luz - Dezembro 1996 - by Sérgio Schmiegelow.jpg|right|thumb|200px|エルシーリオ・ルース橋]]
[[1920年]]5月、[[ホルトン・ロビンソン]]([[:en: Holton D. Robinson|Holton D. Robinson]]、[[1863年]]-[[1945年]]。[[ウィリアムズバーグ橋]]の設計者)が、協同で[[ブラジル]]の[[エルシーリオ・ルース橋]]([[:en:Hercilio Luz Bridge|Hercilio Luz Bridge]]、Hercilio LuzFlorianópolis(フロリアノーポリス橋)とも)の設計コンペに参加しないかと呼びかけてきた。[[建築家]]である[[チャールズ・フォウラー]]([[:en:Charles Fowler|Charles Fowler]])に相談したあと、スタインマンはこの申し出を受け、[[1921年]]に協同で'''ロビンソン・アンド・スタインマン'''<ref>[http://en.structurae.de/firms/data/index.cfm?ID=f000173 Robinson & Steinman]</ref>を設立した。このパートナーシップは1940年代まで続いた。
 
彼らはすぐに契約を勝ち取ることはできなかったが、このプロジェクトや他のものに働きかけ続けた。1920年代初期は社会情勢から橋梁建設が困難な時期でもあった。そのため、スタインマンはアーティスティックなものよりは経済的な橋をめざした。たとえば、ロビンソンとスタインマンは[[吊橋]]であるエルシーリオ・ルース橋のオリジナルプランを変更し、メインケーブルの代わりにアイバーと称するピンで結合された帯状のチェーンを使い、それをもって補剛桁の上弦を兼ねることを案出した。この方式は、オリジナルのプランよりも材料を大幅に減らすことができる上に堅牢製(耐風性)も向上することができた。これにより、スタインマンは橋梁エンジニアとしての名声を得ることができた。