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'''ミハイル・マラトヴィッチ・フリードマン'''('''Михаи́л Мара́тович Фри́дман''' ['''Mikhail Maratovich Fridman'''] [[1964年]][[4月21日]] -  英語版では[[1963年]][[6月26日]]生まれとなっている)は、[[ロシア]]の[[企業家]]。[[アルファ・グループ]](アリファ・グループ)社長、アルファ銀行(アリファ銀行)頭取。[[ロシアの新興財閥|新興財閥]]に属する寡頭資本家(オリガルヒ)のひとり。有力なオリガルヒの中では[[ロマン・アブラモヴィッチ]]に次いで若手の部類。[[ユダヤ]]系。ロシア・ユダヤ人協会副会長を務めている。
 
[[ウクライナ・ソビエト社会主義共和国]][[リヴィウ]]に生まれる。[[1986年]]にモスクワ鉄鋼・合金大学を卒業し、[[エレクトロスターリ]]工場に技師として勤務する。[[1989年]]に独立しコンピュータ関連企業「アルファ・フォト」を、設立して[[実業家]]としての道を歩み始める。[[1990年]]「アルファ・キャピタル」、[[1991年]]アルファ銀行を創設し、頭取となる。その後、[[ピョートル・アベン]]([[ピョートル・アーヴェン]])と共に食品加工事業、チュメニ石油及びセメント、材木、ガラスなどの建設資材会社の持株会社としてアルファ・グループ・コンソーシアムを設立した。[[2003年]]フリードマンは、61億5000万ドルで[[BP (企業)|ブリティッシュ・ペトローリアム]]にアルファ・グループの石油子会社チュメニ石油の[[株式]]の半分を売却した。