「ジョニー・スミス」の版間の差分

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1986年、[[クリス・ベノワ]]を破って二度目の英連邦ミッド・ヘビー級王者に返り咲く。以後、ベノワとの抗争を繰り広げカルガリー地区でのレスラーとしての地位を確立する。また、英連邦ミッド・ヘビー級王座には通算して四回戴冠している。
 
1987年6月に[[新日本プロレス]]に初来日。その後ダイナマイト・キッドの誘いで、1989年2月からは[[全日本プロレス]]のマットに登場。以後、ダイナマイト・キッドとのコンビ([[ブリティッシュ・ブルドッグス#ニュー・ブリティッシュ・ブルドッグス|ニュー・ブリティッシュ・ブルドッグス]])やデイビーボーイ・スミスとのコンビ([[カナダ・コネクション]])などで活躍した。
 
1991年4月6日にダイナマイト・キッドのパートナーとして[[小橋建太|小橋健太]]、[[菊地毅]]組を破り第54代[[アジアタッグ王座]]を獲得した。しかし一度も防衛を果たせず、4月20日の試合で[[カンナム・エスプレス]]([[ダグ・ファーナス]]、[[ダニー・クロファット]]組)に敗れて王座から陥落した。
 
日本では当初、カナダで用いていたアメリカン・スタイルのレスリングをこなしていたが、1995年ごろから[[ゲーリー・オブライト]]のアドバイスでイギリスで用いていたヨーロピアン・スタイルのレスリングへ転向した。今までの全日本のリングでは見られなかった、『ジョニー・マジック』と呼ばれる独特のムーブが多数披露されるようになり(詳細は後述)、徐々に独自のポジションを築き上げていく。
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