「旧川口居留地」の版間の差分

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[[1899年]]の居留地廃止後は川口雑居地の[[華僑]](その多くは[[山東省]]出身者)が進出し、[[中華街|中国人街]]となった。昭和の[[第二次世界大戦|戦]]前にはその数は3,000人を超え、洋品店・理髪店・貿易業といった商売を行っていた。しかし、[[日中戦争]]の激化などでその多くは帰国し、[[大阪大空襲]]で焼け野原となった。戦後は華僑は大阪市内各地に拡散し、川口は地味な倉庫街となった。いくつかの古いコンクリート建築、赤煉瓦の[[三井倉庫]]、[[モダニズム建築]]の[[住友倉庫]]本社がある他は、往時の繁栄の面影は残っていない。本田小学校の一隅に「川口居留地跡」の石碑([[1961年]]大阪市建立)がひっそりと立っているのみである。
 
[[1995年]]の[[阪神淡路大震災]]により一部崩壊し、復旧された。
 
== 交通アクセス ==