「信陵君」の版間の差分

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そして軍を率い、趙の危機を救う。この時の指揮も見事なもので、秦軍は信陵君によって負けさせられたといっても良い程である。しかし、勝手に軍を動かしたことで安釐王の大きな怒りを買うと解っていたので、信陵君は「私には罪があるが、軍の皆は命令に従っただけだから罪は無い」と軍は魏に帰し、自分と食客は趙に留まった。趙は救国の士として歓待し、5城を献上し信陵君もそれに応じようとした。だが、食客に「あなたは王命を偽り晋鄙将軍を殺し功を立てたのだから、趙からの報償を受け取るべきではないでしょう」と言われ辞退した。
 
趙に滞在中、信陵君は[[博徒]]の間に隠れていた毛公と味噌屋に身を隠していた薛公と会うため自ら徒歩で彼らのもとへ趣き、両者と語り合って大いに満足した。しかし[[平原君]]はこの事を聞いて「信陵君はそのような者を相手にするのか」と馬鹿にした。これに対して信陵君は「その博徒と味噌屋は魏に居た時から賢人と聞いていた程の人。世情の煩わしさを嫌い、その身分に自らあるだけ。平原君は外面だけを飾り立てる虚名の士のようだ」と喝破し、このような人の近くには居たくないと国外へ去ろうとした。これを聞いた平原君は、信陵君が居るから趙は秦に攻められていないこともあり、去られては大変と冠を脱いで謝罪した。これを聞いた平原君の食客達は「信陵君は身分に関係なく才を処遇してくださる。そういう人に使ってもらいたい」と、その内半数が平原君の下を去って信陵君の下に集まったと言う。
 
=== 帰国 ===