「歌枕」の版間の差分
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'''歌枕'''(うたまくら)とは、古くは[[和歌]]において
== 解説 ==
和歌は古くは、[[漢語]]や当時の日常会話で使われる表現、また[[俗語]]の類などを出来るだけ避けるように詠まれていた。その姿勢はすでに奈良時代の『[[歌経標式]]』において「直語を以って句を成す、都(すべ)て古事に無し」とあり、「直語」というのは当時の日常会話に近い表現という意味で、和歌においてそのような表現は古くから用いられないものだということである。そうして和歌の内容が洗練されてゆくうちに、和歌を詠むのにふさわしいとされる
『[[古今和歌集]]』の仮名序には文章の終り近くに、「それまくらことば、はるのはな にほひすくなくして、むなしきなのみ あきのよのながきをかこてれば…」とある。これは[[紀貫之]]が自分たち撰者のことについて述べたもので、自分たちが詠む和歌はその表現において、春の花のような美しさに乏しく、歌詠みと世間から呼ばれながらもその実力の伴わない有様に、長い秋の夜も眠れずに悩んでいるということであるが、この「まくらことば」というのは現在でいう[[枕詞]]のことではなく、和歌にお
しかしこの古い時代の歌枕には、現在でいうところの枕詞も含まれる。[[平安時代]]後期の[[僧侶]]・[[歌人]]で[[中古三十六歌仙]]の一人でもある[[能因]]は、『能因歌枕』という書を著している。これは当時の歌枕とされる言葉を集めたものであるがそこには、
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:「山 あしびきといふ、しなてるやともいふ、(以下略)」
など、現在でいう枕詞の用例が見られる。当時はこれらも歌枕と称していたのである。なお能因は他にも『坤元儀』という歌枕を集めた本を著していたらしいが現存しない。こういった歌枕を集めたものは貫之も撰していたといわれ、[[藤原公任]]も今は伝わらないが『諸国歌枕』なるものを著していたという。
== 地名の歌枕 ==
しかし歌枕は時代が立つにつれて、次第に和歌で詠まれる諸国の名所旧跡のみについて言われるようになった。平安時代末の[[源俊頼]]の著書『[[俊頼髄脳]]』には、「世に歌枕といひて所の名かきたるものあり」とあって、この時代には名所や由緒ある場所について称していたと知られる。
地名の歌枕は実際の風景をもとに親しまれてきたというよりは、歌や物語で場面として繰り返し登場する中で、実際の風景から離れたところでイメージが形成されてきたものとも
== 参考文献 ==
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