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==概要==
テーバイは、ギリシア中部の[[ボイオティア]]に位置する有力都市である。[[アイオリス人]]が建設したと考えられており、[[オイディプス]]にまつわる神話などで知られている。[[紀元前6世紀]]、[[アテナイ]]と国境争いをして[[ペルシア戦争]]においては、[[紀元前480年]]の[[テルモピュライの戦い]]でギリシア連合軍を裏切ったり、翌年の[[プラタイアの戦い]]で[[アケメネス朝ペルシア|ペルシア]]方で戦うなどペルシアに味方した。[[紀元前457年]]の[[オイノフュタの戦い]]での敗北によってテバイをはじめとするボイオティアはアテナイによって支配されたが、[[紀元前447年]]の[[コロネアの戦い (紀元前447年)|コロネアの戦い]]で勝利し、独立を取り戻した。[[ペロポネソス戦争]]では[[スパルタ]]側についてアテナイと戦い、[[紀元前424年]]の[[デリオンの戦い]]でテバイをはじめとするボイオティア軍はアテナイ軍を破った。[[紀元前4世紀]]前半にテバイの指導者[[ペロピダス]]・[[エパメイノンダス]]がギリシアの[[覇権]]を握っていたスパルタの[[傀儡政権]]を倒し、その後スパルタを[[レウクトラの戦い]]で破って覇権を得た。
 
しかし[[紀元前362年]]の[[マンティネイアの戦い (紀元前362年)|マンティネイアの戦い]]でエパメイノンダスが戦死した後、彼に代わる有能な指導者を持たなかったテバイはギリシアの覇権を手放すことになった。その後起こった[[第三次神聖戦争]]でテバイはアテナイ、スパルタなどと同盟した[[フォキス]]と戦い、[[マケドニア王]][[ピリッポス2世]]の助けを受けて何とか勝利した。この勝利はピリッポスのギリシアでの勢力拡大へと繋がり、テバイはアテナイと共に戦うも、[[紀元前336年]]の[[カイロネイアの戦い]]でピリッポス2世に敗れた。ピリッポスの死後[[紀元前335年]]にマケドニアに対し反旗を翻したため[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]に破壊された。紀元前316年、[[ディアドコイ]]の一人[[カッサンドロス]]によって再建されたが、[[古代ローマ共和国|ローマ]]に支配されて以後は繁栄することがなかった。