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'''柳沢 吉里'''(やなぎさわ よしさと)は、[[江戸時代]]中期の[[大名]]で、[[甲斐国|甲斐]][[甲府藩]]の第2代[[藩主]]。後に[[大和国]][[郡山藩]]の初代[[藩]]主となる。[[柳沢吉保]]の嫡男。郡山藩柳沢家2代。
 
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吉里は父・吉保譲りの学問好きで、郡山藩政においても基礎を固め、名君とも評されている。延享2年(1745年)9月6日に死去。享年59。跡を四男の信鴻が継いだ。
 
[[明治維新]]の後、[[明治新政府]]により[[廃藩置県]]が行われて大和郡山藩が消滅したが、[[明治13年]]、旧[[大和郡山藩]]士族が初代藩主の吉里並びにその父の吉保の遺徳を偲び、旧[[大和郡山城]]跡に父子を祭神とする柳沢神社を創建した。
 
== 年譜 ==
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== 人物・逸話 ==
* [[三王外記]]によると、第5代将軍・徳川綱吉の死後は養子の徳川家宣が継嗣として決定していたにも関わらず、家宣を廃嫡して吉里を擁立しようという動きもあったとされている。その理由として、吉里は松平姓を許される家柄でないにもかかわらず松平姓と綱吉の偏諱を賜っていること、元服の格式などは異常なほど厚遇されていることなどから、吉里は綱吉の御落胤であるとされているものである。さらに三王外記では、綱吉が吉里に対して甲府100万石のお墨付きを与える約束を交わしていたとされている。[[三田村鳶魚]]はその著作で、吉里御落胤説を支持している。
* 大和郡山に移封の際、多くの[[キンギョ|金魚]]職人も同時に連れて行った。これが、大和郡山で金魚が産業として発展する要因となった。また積玉和歌集を著し、朝廷とも親しくしていた。
 
=== テレビドラマ ===
* [[元禄繚乱]](1999年:[[日本放送協会|NHK]][[大河ドラマ]])
* [[大奥 (テレビドラマ)]]
 
== 外部リンク ==
* [http://www.mahoroba.ne.jp/~yngbunko/ 財団法人 郡山城史跡・柳沢文庫保存会]
 
{{甲府藩主|柳沢氏|2代|1709 - 1724}}
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[[Category:江戸の大名]]
[[Category:譜代大名]]
[[Category:日本の神 (人物神)]]
[[Category:1687年生]]
[[Category:1745年没]]