「園田安賢」の版間の差分

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[[1875年]]6月、[[警視庁 (内務省)|警視庁]]14等出仕として再度、[[警察官]]となる。[[1877年]]4月、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[歩兵]][[中尉]]兼[[警部]]として、[[西南戦争]]に[[抜刀隊]]巡査部隊の長として従軍し、戦傷を受けた。
 
[[1882年]]4月、[[石川県警察部|石川県]]警部長に就任し、その後、[[石川県]]大書記官。警視庁二等警視兼[[内務省 (日本)|内務]]少書記官に異動し、[[1884年]]4月から[[1886年]]4月まで各国警察の状況視察のため[[欧米]]に出張し、帰国後その報告を『泰西見聞誌』として出版した。以後、警視庁第三局長、[[滋賀県]]書記官、警視副総監兼第三局長などを歴任し、[[1891年]]4月に[[警視総監]]に就任。[[1896年]]6月、男爵を叙爵し、同年9月に退官した。
 
[[1897年]] 7月、[[貴族院 (日本)#華族議員|貴族院男爵議員]]に選出され[[1911年]] 7月まで在任。[[1898年]] 1月、警視総監に再任され、その後、北海道庁長官、宮中顧問官を歴任。