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'''デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌス'''('''{{lang-la|Decimus Junius Brutus Albinus}}''', [[紀元前85年]]頃 - [[紀元前43年]])は、[[共和政ローマ]]期の[[軍人]]・[[政治家]]。[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]の腹心の1人であったが、カエサル[[暗殺]]に参与した。
 
== 略歴生涯 ==
デキムス・ブルトゥスはカエサルの遠縁に当たり、ブルトゥスは[[紀元前77年]]にコンスル[[執政官]]を務めた同名の[[デキムス・ユニウス・ブルトゥス (紀元前77年の執政官)|デキムス・ユニウス・ブルトゥス]]の息子にあたる。若年時は[[プブリウス・クロディウス・プルケル]]や[[マルクス・アントニウス]]の仲間として活動した。
 
ブルトゥスが本格的に史上に名前が上がるのは、カエサルによる[[ガリア戦争]]へ[[レガトゥス]](総督代理)として従軍した時からとなるが、同じガリア遠征軍には[[プブリウス・リキニウス・クラッスス]]や[[クィントゥス・トゥッリウス・キケロ]]らローマ元老院有力者の子弟も多数参加した。ガリア戦争では、[[紀元前56年]]の[[モルビアン湾の海戦]]で海戦に強みを持つ[[ウェネティ族]]を相手に勝利を収めたほか、カエサルからたびたび軍団の指揮を任され、[[アレシアの戦い]]にも参戦、ガリア戦争の勝利に貢献した。
 
カエサルと[[グナエウス・ポンペイウス]]の間で行われた[[ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)‎|ローマ内戦]]でもカエサルに従った。[[オプティマテス|元老院派]]に組したマッシリア(現:[[マルセイユ]])に対する戦い([[マッシリア包囲戦]])でもカエサルより船団を任され[[ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前54年の執政官)|ルキウス・ドミティウス]]率いる船団の迎撃及び同市の封鎖を行い、マッシリア降伏に寄与した。
 
また、[[紀元前48年]]から[[紀元前46年]]まで[[プラエトル|法務官]]格副官として[[ガリア]]の統治を行い、[[紀元前44年]]にはカエサルから[[ガリア・キサルピナ]]における[[コンスル]]格の指揮権([[インペリウム]])を与えられ、また[[紀元前42年]]コンスル執政官にも指名されていた。しかし、属州ガリア・キサルピナへ出発する前の[[3月15日]]、従兄弟の[[マルクス・ユニウス・ブルトゥス]]と[[ガイウス・カッシウス・ロンギヌス]]が首謀したカエサル暗殺に加担し、[[ポンペイウス劇場]]でのカエサル刺殺にも参加。ブルトゥスは8番目にカエサルを刺したと伝えられる。
 
カエサルの遺言状ではブルトゥスは第1位遺産相続人である[[続柄#大甥・大姪|大甥]]オクタウィウス(のちの[[アウグストゥス]])に次ぐ第2位遺産相続人の1人、そしてオクタウィウスが若年の場合の後見人に指名されていた<ref>[[スエトニウス]]『ローマ皇帝伝』「カエサル」83。第1位遺産相続人としては[[アウグストゥス|オクタウィアヌス]]が遺産の4分の3、ルキウス・ピナリウスとクィントゥス・ペディウスがそれぞれ8分の1の相続人として指名された。</ref>。
その事実を知ったブルトゥスは、蒼白になって暗殺に加わったことを後悔し、家に閉じこもったと言われる。
 
その後、ブルトゥスは共和派の将軍として、カエサルの後継者を自任していた[[マルクス・アントニウス]]らカエサル派に抗した。生前のカエサルによって任命されていた[[ガリア・キサルピナ]]に移動していたブルトゥスは、[[ムティナの戦い|ムティナ]](現[[モデナ]])でアントニウスの攻囲を受けたが、[[アウルス・ヒルティウス]]、[[ガイウス・ウィビウス・パンサ・カエトロニアヌス]]の両コンスル執政官及び[[アウグストゥス|オクタウィアヌス]]の救援を受け包囲を脱し、アントニウスを追撃した。しかし、ガリアで[[マルクス・アエミリウス・レピドゥス]]がアントニウスに合同するとこれに敗北し、逃走中殺害された。
=== カエサル暗殺後 ===
その後、ブルトゥスは共和派の将軍として、カエサルの後継者を自任していた[[マルクス・アントニウス]]らカエサル派に抗した。生前のカエサルによって任命されていた[[ガリア・キサルピナ]]に移動していたブルトゥスは、[[ムティナの戦い|ムティナ]](現[[モデナ]])でアントニウスの攻囲を受けたが、[[アウルス・ヒルティウス]]、[[ガイウス・ウィビウス・パンサ・カエトロニアヌス]]の両コンスル及び[[アウグストゥス|オクタウィアヌス]]の救援を受け包囲を脱し、アントニウスを追撃した。しかし、ガリアで[[マルクス・アエミリウス・レピドゥス]]がアントニウスに合同するとこれに敗北し、逃走中殺害された。
 
[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の戯曲『[[ジュリアス・シーザー (シェイクスピア)|ジュリアス・シーザー]]』の中では「デキウス」として登場するが、これはシェイクスピアの誤りである。