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'''日根野 高吉'''('''ひねの たかよし'''、[[天文 (元号)|天文]]8年([[1539年]] [[慶長]]5年[[6月26日 (旧暦)|6月26日]]([[1600年]][[8月5日]]))は、[[戦国時代]]の[[武将]]。[[信濃]][[高島藩]]の初代藩主。[[日根野弘就]]の子。嫡男に[[日根野吉明]]がいる。正室は[[戸田忠成]]の娘。官位は従五位下、織部正。名は'''高弘'''('''たかひろ''')とも。
 
はじめ[[美濃]][[斎藤氏]]に仕えた。斎藤氏滅亡後は[[織田信長]]に仕え、信長没後は[[織田信孝]]を経て、[[羽柴秀吉]]に仕えた。[[1590年]]の[[小田原征伐]]により、その功績を賞されて信濃高島に3万8000石(異説として2万7000石か2万8000石とも)を与えられた。[[文禄の役]]では、肥前名護屋に駐屯した。[[伏見城]]築城でも功を挙げている。
 
[[1600年]]の[[関ヶ原の戦い]]では、東軍に与していたが、本戦直前の6月26日に急死した。享年62。後を子の吉明が継いだ。法号:鑑照院殿。墓所:諏訪郡下諏訪町の慈雲寺。
 
[[Category:戦国武将|ひねのたかよし]]
[[Category:江戸の大名|ひねのたかよし]]
[[Category:外様大名|ひねのたかよし]]
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