「勿来関」の版間の差分

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福島県いわき市勿来町に所在したと考えられている[[菊多関]]の別名とする説もあるが、最近では区別されている。
 
[[歌枕]]であるなこその関は多くの歌人に詠まれているが、それらの歌からは陸奥国([[東北地方]]の[[太平洋]]沿岸部)の海に程近い山の上が情景がイメージされる。しかし、一般に[[近代]][[写実主義]]に拘束されていない近代以前の和歌においては、歌枕を詠むにあたってその地に臨む必要はない。なこその関を詠んだ歌についてもその多くは現地で詠んだ歌とは考えられていない<ref>なこその関で詠んだとされる[[詞書]]をもつ歌には、[[源義家]]の「ふくかぜを なこそのせきと おもへとも みちもせにちる [[ヤマザクラ|やまざくら]]かな」がある。その死後80年ほど後に添えられた『[[月詣和歌集]]』の詞書と、それを基礎に編集された『[[千載和歌集]]』の詞書には「[[みちのく|みちのくに]]にまかりけるときなこそのせきにて[[花#文化的花|はな]]のちりければよめる」とある。源義家が陸奥に赴いたのは生涯において3度ある。1度目は{{和暦|[[1056}}8年]]([[天喜]]4年)8月から翌年11月までの期間に[[前九年の役|前九年合戦]]に際して、2度目は{{和暦|[[1070}}8年]]([[延久]]2年)8月の[[下野国|下野]][[国司|守]]在任中に陸奥国への援軍として、3度目は{{和暦|[[1083}}9年]]([[永保]]3年)9月に自身が[[陸奥守]]兼[[鎮守府将軍]]として、である。いずれも季節的に桜が散る時期に合致するものはなく、詞書と歌の内容との間に齟齬があって、どこまでを事実として整理できるか見極めが難しい。ただし、この詞書が、なこその関の実在を示す根拠の一つではあることに違いはない。</ref>。
 
=== その他の推定 ===
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江戸時代初期に現在の福島県いわき市[[勿来|勿来町]][[関田村|関田]][[小字|字]]関山に「なこその関」を見立てるようになったため、[[観光地]]化した<ref>[http://www.iwakicity-park.or.jp/bungakurekishikan/index.php 企画展「勿来関を訪れた人々」 のご案内](いわき市勿来関文学歴史館)</ref>。江戸時代に関田村を領していた[[磐城平藩]]は、[[17世紀]]に[[桜]]の植樹をするなど、関跡に見立てた整備事業をたびたび行っている。
 
{{jdate|[[1889|年]]([[明治]]22年)[[4|1}}日]]、旧磐城平藩の関田村、および、旧[[棚倉藩]]の窪田村・四沢村・白米村・九面村・酒井村・大高村が合併して窪田村となった。{{jdate|[[1897|年]](明治30年)[[2|25}}日]]に[[日本鉄道]]海岸線(現・[[東日本旅客鉄道|JR]][[常磐線]])に「[[勿来駅]]」が開設されると、その駅名にならって{{jdate|[[1925|年]]([[大正]]14年)[[5|1}}日]]には[[石城郡]]窪田村が[[町村制|町制]]を施行する際に改称して勿来町になり、「勿来」という[[地名]]が初めて生まれた。{{jdate|[[1927}}年]]([[昭和]]2年)には[[福島民友新聞社]]が「勿来関趾」の碑を建立した({{ウィキ座標|36|52|6.3|N|140|46|51.8|E|region:JP|地図|name=福島県いわき市:「勿来関趾」の碑(1927年(昭和2年)に建立)}})。
 
=== 勿来の関公園 ===
* {{jdate|[[1951}}年]](昭和26年)、福島[[都道府県立自然公園|県立自然公園]]としての指定。
* {{jdate|[[1960}}年]](昭和35年)、[[風致公園]]として[[都市計画]]決定がなされる。
* {{jdate|[[1986}}~{{jdate|年]](昭和61年) - [[1988}}年]](昭和63年)、[[遊歩道]]、詩歌の小径、駐車場等の整備が行われる。
* 1988年(昭和63年)、いわき市勿来関文学歴史館(観光施設)が開館。
* [[2001年]][[平成]]13年)、いわき市勿来関文学歴史館(観光施設)が供用再開。はじめて学芸員を配置し小規模な企画展を開催。歌枕「なこその関」を紹介。
* [[2007年]](平成19年)、いわき市勿来の関公園吹風殿(公園施設)が開館。平安貴族の邸宅風の建物と庭園。休憩所やイベント会場として多目的に活用される。
現在は桜の名所としても知られる。古賀春一(勿来砿を主力とした大日本炭砿会社の創立者)の彰徳碑もある。