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== 日本とロシア語 ==
[[ファイル:Road traffic sign with Russian, Wakkanai, Hokkaido, Japan.jpg|thumb|日本語と英語、そしてロシア語が併記された道路標識([[稚内市]])]]
ソ連崩壊後でも使用話者が多いためか、今でも日本の多くの大学の第二外国語でロシア語が学ぶことができるが、[[フランス語]]、[[中国語]]、[[ドイツ語]]はおろ。しか、{{要出典範囲|[[スペイン語]]、[[朝鮮語]]、[[イタリア語]]、[[ポルトガル語]]などよりも受講者数が少なく|date=2011年4月}}、し日本人でロシア語を学ぶ人々は少ない。ロシア語が隣国の言語1960年代まであるにもかかわらずは、日本でも共産主義を支持する人々を中心に[[英語ロシアの文化|ロシア文化]]・中国語・朝鮮語よりもへの関心はる比較的高かに普及率ったが低い、1970年代以降は共産主義の退潮、ブレジネフ体制下でのソ連文化の硬直化などを背景にロシアへの関心は低下した。ソ連崩壊後、日本語とロシア語が全く異なった言語であるという面よりの交流は、北海道や日本海側の隣国一部の地域を除くと盛んにはいっ行われておらず、経済的なつながりもモスクワなど中国や韓国、アメリカ合衆国より薄い。その主要部からは遠く為、日本人のにおいてロシア語の重要性は低い。英語や中国語に対するマイナスイメージが伝統的に強く、比べて語学ぶ意欲をそそら教材も恵まれる材料に乏しておらず、改訂も進まないこと結果、内容が大きな理由ソ連時代のままである教材も少なくない。
1960年代までは、日本でも共産主義を支持する人々を中心に[[ロシアの文化|ロシア文化]]への関心は比較的高かったが、1970年代以降は共産主義の退潮、ブレジネフ体制下でのソ連文化の硬直化などを背景にロシアへの関心は著しく低下した。ソ連崩壊後の今なお、ロシアとの交流は北海道や日本海側の一部の地域を除くとあまり盛んには行われておらず、経済的なつながりも中国や韓国、アメリカ合衆国より薄い。需要が少ないため、英語や中国語に比べて語学教材も恵まれておらず、改訂も進まない結果、内容がソ連時代のままである教材も少なくない。
しかし北海道の一部の高校では、地理的に近いということもあり、ロシア語の授業が行われる。また[[稚内市|稚内]]や[[根室市|根室]]ではロシア語表記の看板が見られるなど、隣国としてのロシアの姿が実感できる。また[[新潟港|新潟東港]]を通じての対ロ貿易の日本海側拠点である[[新潟市]]内にも日本語の他英語とロシア語を併記した看板を見ることができる。
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