「ナイルの戦い (紀元前47年)」の版間の差分

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|conflict=[[ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|ローマ内戦]]
|date=[[紀元前47年]][[2月]]
|place=[[ナイル川]]下流 [[ナイル川デルタ|デルタ地帯]]
|result=ローマ軍の勝利
|combatant1=[[共和政ローマ|ローマ]]<BR />[[プトレマイオス朝]]<br>(クレオパトラ派)
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|commander1=[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]<BR/>[[クレオパトラ7世]]<br>ミトリダテス
|commander2=[[プトレマイオス13世]]<BR />アキッラス<br>ガニュメデス
|strength1=軍団兵 20,000余<br/>(諸説有)
|strength2=歩兵 20,000<br/>騎兵 2,000(諸説有)
|casualties1=若干名
|casualties2=不明
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== 概要 ==
=== 開戦まで ===
[[ファルサルスの戦い]]([[紀元前48年]]8月)で[[グナエウス・ポンペイウス]]率いる[[オプティマテス|元老院派]]を破ったカエサルは、ポンペイウスを追って[[エジプト]]に到着したが、ポンペイウスは既に[[プトレマイオス13世]]側近の[[宦官]]ポティノスらによって殺害されていた。プトレマイオス13世及びポティノスらは、カエサルにポンペイウスの首を差し出した上でエジプトから立ち去るように要請したものの、カエサルは軍兵(兵3200、騎兵800)を従えてエジプトに上陸した。
 
当時、[[プトレマイオス朝]]はプトレマイオス13世その[[クレオパトラ7世]]の共同統治体制であったが、両者の対立が先鋭化して事実上の内戦状態であった。カエサルは先王[[プトレマイオス12世]]の遺言に従って両者が和解するように調停し、10月に両者の和解が成立して祝宴も催された。しかし、クレオパトラ7世がカエサルの愛人となったことで、カエサルがクレオパトラ7世に肩入れしていると考えたプトレマイオス13世派は徐々に反感を強めた。
 
=== 対立・開戦 ===
カエサルが[[リクトル]](警護兵)を引き連れてエジプト王宮に入ったことを、[[アレクサンドリア]]住民(当時の住民数は50万から100万の間)は'''「王のような振舞い」'''と捉え、反ローマ感情を露わにした。これに乗じてプトレマイオス13世派はペルシオンに駐留させていた兵22000(歩兵20000、騎兵2000)をアレクサンドリアへ進軍させた。これに対して、カエサルは兵力や軍船(カエサル軍10隻、プトレマイオス13世派72隻)で圧倒的に劣っており、ローマに増援部隊の派遣を要請していた。防御の点で優れていた[[アレクサンドリアの大灯台|ファロス島の大灯台]]を占拠して拠点の1つとした。
 
プトレマイオス13世派は兵力がまさっており、地元の利を生かして優位に立っていたが、プトレマイオス13世と姉[[アルシノエ4世]]の主導権争いにより、攻勢を掛けるには至らなかった。カエサルの要請によって到来したミトリダテス([[:en:Mithridates I of the Bosporus|en]]、かつてローマと敵対した[[ポントス]]王[[ミトリダテス6世]]の庶子)指揮下の増援軍は、小アジアから陸路でエジプトに向かい、まず[[ペルシオン]]を占領し、[[紀元前47年]]1月[[ナイル川]]のデルタ地帯の[[メンフィス (エジプト)|メンフィス]]へ進軍、そのあとアレクサンドリアへ向って北上し、カエサル軍と合流した。カエサルとプトレマイオス13世の両軍は紀元前47年2月にナイル川下流のデルタ地帯で激突した。
 
カエサル軍は伝統的なローマの戦法である[[ピルム]](ローマ式投槍)の投擲によってプトレマイオス13世軍を攻撃、戦術・兵器・経験すべての面で勝ったローマ軍は、瞬く間にプトレマイオス13世軍を撃破、エジプト兵は散り散りに戦場から逃れた。一部の兵は船に乗り込んだが、乗員数過重もあって船が転覆して多数の兵が溺死した。国王プトレマイオス13世は逃亡に成功したが、ナイル川に身を投じて自殺した。ローマ軍の捕虜となっていた[[アルシノエ4世]]を除き、プトレマイオス13世派の指導者はこの時までに全員が死亡した。
 
=== 結果・調停 ===
事実上、エジプトの支配者となったカエサルは、クレオパトラ7世その弟である[[プトレマイオス14世]]が共同で[[ファラオ]]に就くように裁定した。カエサルは紀元前47年4月(6月とも)までの数ヶ月間をエジプトで'''「クレオパトラを同伴してナイル川の周航・視察や景勝地の訪問」'''(「内乱記」)に費やした。なお、この戦いの過程で[[アレクサンドリア図書館]]が焼失したと伝えられている。
 
== 参考資料 ==
*[[クリスティアン=ジョルジュ・シュエンツエル]]著、[[北野徹]]『クレオパトラ』[[白水社]] 文庫クセジュ
*[[塩野七生]]『ユリウス・カエサル ルビコン以後 [[ローマ人の物語]]V』[[新潮社]]
*カエサル著、[[國原吉之助]]『内乱記』[[講談社学術文庫]]
*[[プルタルコス]]『[[対比列伝]](英雄伝)』