「ダニー・クロファット」の版間の差分

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| 名前 = ダニー・クロファット
| 画像 =
| リングネーム = ダニー・クロファット<br />"ダンディ" ダン・クロファット<br />フィル・ラフォン<br />フィル・ラフルール<br />フィル・ラファイアー<br />レネ・ルージョー
| 本名 = フィリップ・ラフォン
| ニックネーム =
| 身長 = 180cm
| 体重 = 105kg - 107kg
| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1961|9|16}}
| 死亡日 =
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| 所属 =
| スポーツ歴 = [[キックボクシング]]
| トレーナー = [[ダイナマイト・キッド]]<br />[[デイビミスタボーイスミスヒト]]
| デビュー = [[1983年]]
| 引退 =
}}
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== 来歴 ==
4年間[[キックボクシング]]を経験した後、カナダのジムにて[[ブリティッシュ・ブルドッグス]]の[[ダイナマイト・キッド]]&[[デイビーボーイ・スミス]]にスカウトされ、[[ブリティッシスチュ・ブルドッグハート]]の「ハート・ダンジョン」にて[[ミター・ヒト]]トレニングを受け[[1983年]]にデビュー。[[1984年]]10月に旧[[UWF]]『ストロング・ウォークス』への参戦で初来日を果たし、[[佐山聡<ref name="slam!">{{cite web|スーパー・タイガー]]、[[前田日明]]、[[藤原喜明]]相手に[[打撃技url=http://slam.canoe.ca/Slam/Wrestling/2010/03/25/13352186.html|打撃]]と[[極技title=Phil Lafon returns to the ring|accessdate=2011-06-22|サブミッション]]で渡り合ったpublisher=SLAM! Wrestling: April 7, 2010}}</ref>帰国後は[[プエ'''フィル・ラフトリコ]]地区を主戦場とし、[[ボビル'''('''Phil Lafleur''')や'''レネルーャガズ]]と'''('''Rene Rougeau''')などの[[カウボリングネ]]を用い、[[ギミケベック (プロレ人|フラン)|ギミック系カナダ人]]のコンビで[[WWCベビーフェイス (プロレス)|WWCベビーフェイス]]として[[ルガビアンタッグチ]]やマリタイ王座を奪取地区で活動した
 
[[1984年]]10月、[[UWF#第一次UWF|旧UWF]]『ストロング・ウィークス』への参戦で初来日を果たし(リングネームの表記は「フィル・ラファイアー」)、[[佐山聡|スーパー・タイガー]]、[[前田日明]]、[[藤原喜明]]らを相手に[[蹴り技|キック]]と[[極技|サブミッション]]で渡り合った。
[[1988年]]10月に[[全日本プロレス]]『ジャイアント・シリーズ』に参戦し同じく来日していた[[ダグ・ファーナス]]と意気投合して『[[カンナム・エクスプレス]]』を結成。[[1989年]]6月5日に[[日本武道館]]で[[冬木弘道|サムソン冬木]]&[[川田利明]]([[フットルース(プロレス)|フットルース]])を破り[[アジアタッグ王座]]を奪取。その後[[1990年]]3月2日、[[1991年]]4月20日、同年7月6日、[[1993年]]9月9日、計4度にわたり返り咲き、1990年代前半におけるアジアタッグ戦線の中心チームとなった。
 
[[1980年代]]中盤からは地元[[モントリオール]]のインターナショナル・レスリング(Lutte Internationale)を主戦場とし、[[1986年]]8月に[[トム・ジンク]]とのコンビで[[ビル・アーウィン (プロレスラー)|ビル・アーウィン]]&ダニー・ジョンソンからカナディアン・インターナショナル・タッグ王座を奪取<ref name="can-int-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/canada/qc/pv/can-int-t.html|title=Canadian International Tag Team Title History|accessdate=2011-06-22|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。その後、'''"ダンディ" ダン・クロファット'''('''"Dandy" Dan Kroffat''')と名乗って[[プエルトリコ]]の[[WWC (プロレス)|WWC]]に参戦、[[ボビー・ジャガーズ|"ハングマン" ボビー・ジャガーズ]]のパートナーとなって[[カウボーイ]]・[[ギミック (プロレス)|ギミック]]の[[ヒール (プロレス)|ヒール]]に変身し、マーク&クリスのヤングブラッド兄弟とカリビアン・タッグ王座を争った<ref name="carib-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/pr/wwc/carib-t.html|title=Caribbean Tag Team Title History|accessdate=2011-06-22|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。
[[1994年]]10月5日には[[世界タッグ王座]]に照準を合わすためにアジア王座を返上したものの、[[プロレス四天王|四天王]]や[[スタン・ハンセン]]、[[スティーブ・ウィリアムス]]などのトップ勢には体格差もあり全く歯が立たず、壁を破れない状態が続いた。
 
[[1988年]]10月、'''ダニー・クロファット'''の名義で[[全日本プロレス]]『ジャイアント・シリーズ』に来日、同時参戦し同じく来日していた[[ダグ・ファーナス]]と意気投合して『'''[[カンナム・エクスプレス]]'''』を結成。[[1989年]]6月5日に[[日本武道館]]で[[冬木弘道|サムソン冬木]]&[[川田利明]]([[フットルース (プロレス)|フットルース]])を破り[[アジアタッグ王座]]を奪取<ref name="asia-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/japan/alljapan/asia-t.html|title=All Asia Tag Team Title History|accessdate=2011-06-22|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。その後[[1990年]]3月2日、[[1991年]]4月20日、同年7月6日、[[1993年]]9月9日、計4度にわたり返り咲き戴冠し[[1990年代]]前半におけるアジアタッグ戦線の中心チームとなった。
シングルでは[[1993年]]5月21日に[[札幌]]、[[1994年]]7月12日に[[鹿児島]]でいずれも[[渕正信]]を破り[[世界ジュニアヘビー級王座]]を奪取。以降[[小川良成]]らがタイトル戦線に食い込むまで渕に代わる「ジュニアの壁」として君臨した。
 
[[1994年]]10月5日には[[世界タッグ王座]]に照準を合わすためにアジア王座を返上したものの、[[プロレス四天王|四天王]]や[[スタン・ハンセン]]、[[スティーブ・ウィリアムス]]などのトップ勢には体格差もあり全く歯が立たず、壁を破れない状態が続いた。シングルでは[[1993年]]5月21日に[[札幌]]、[[1994年]]7月12日に[[鹿児島]]でいずれも[[渕正信]]を破り[[世界ジュニアヘビー級王座]]を奪取。以降[[小川良成]]らがタイトル戦線に食い込むまで渕に代わる「ジュニアの壁」として君臨した。
[[1996年]]10月の『ジャイアント・シリーズ』を最後に日本を離れ[[WWE|WWF]]入りを果たし[[1997年]]秋からは[[ECW]]同年12月には[[ECW・タッグ王座|ECWタッグチーム王座]]を奪取した。その後、[[メキシコ]]、[[カナダ]]のインディーを渡り歩いた後、[[2000年]]に『2000年 [[世界最強タッグ決定リーグ戦]]』に藤原喜明とのコンビで参戦して全日本に再登場、[[2001年]]1月28日の[[東京ドーム]]大会にも参戦したが、膝の怪我で全盛期の活躍は見られなかった。現在はセミリタイア状態。
 
[[1996年]]10月の『ジャイアント・シリーズ』を最後に全日本を離れ、'''フィル・ラフォン'''('''Phil LaFon''')のリングネームでファーナスと共に[[WWE|WWF]]および[[ECW]]で活動<ref name="slam!"/>、[[1997年]]12月には[[フル・ブラッデッド・イタリアンズ]]の[[ジェームズ・マリタート|リトル・グイドー]]&[[トレイシー・スマザーズ]]から[[ECW・タッグ王座|ECW世界タッグ王座]]を奪取した<ref name="ecw-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/ecw/ecw-t.html|title=ECW World Tag Team Title History|accessdate=2011-06-20|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。その後ファーナスとのコンビを解消し、[[メキシコ]]、カナダのインディー団体を転戦した後、[[2000年]]の『[[世界最強タッグ決定リーグ戦#2000年大会|世界最強タッグ決定リーグ戦]]』に藤原喜明とのコンビで参戦して全日本に再登場、[[2001年]]1月28日の[[東京ドーム]]大会にも出場したが、膝の怪我で全盛期の活躍は見られなかった。近年は[[アルバータ州]][[エドモントン]]のモンスター・プロレスリングにてトレーナーを務めている<ref name="slam!"/>。
なお、[[若松市政#マシン軍団|ストロング・マシン]]3号ないし4号がダニー・クロファットであると噂されている。これは、[[1984年]]11月1日東京体育館での猪木vsストロング・マシン2号のシングル戦の際に、若松の勧めで1度だけマスクを被ってセコンドについたことがあったためで、ストロング・マシンとして試合は行なわなかったことを、後にプロレス雑誌で告白している。
 
なお、旧UWF来日時の1984年11月1日、[[新日本プロレス]]の[[東京体育館]]大会における[[アントニオ猪木]]対[[若松市政#マシーン軍団|ストロング・マシーン2号]]のシングルマッチの際、カルガリー時代からの間柄である[[若松市政]]の要請で覆面を被り、ストロング・マシーン3号に扮して2号のセコンドについたことがある。しかし、新日本プロレスへの登場はこれ1度きりで、ストロング・マシーンとして試合は行なわなかったことを、後にプロレス雑誌のインタビューで答えている。
 
== 得意技 ==
* [[パワーボム#タイガードライバー|タイガー・ドライバー]] - キャリア後期 [[三沢光晴]]モノタイガー・ドライバー違っては異なり、腕をダブルアームに固めたままの状態で開脚ジャンプして急角度で叩きつける。
* [[コブラクラッチ]] - キャリア前期に使用。
* [[ファイヤーマンズキャリー#プロレスにおける派生技|カナディアン・ロッキー・バスター]]
* [[トラース・キック]]
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* [[ボディ・プレス#ダイビング・ボディ・プレス|ダイビング・ボディ・プレス]]
* [[DDT (プロレス技)#リバースDDT|リバースDDT]]
 
== 獲得タイトル ==
; インターナショナル・レスリング
* カナディアン・インターナショナル・タッグ王座:2回(w / [[トム・ジンク]]、アルマンド・ルージョー)<ref name="can-int-t"/>
; [[WWC (プロレス)|WWC]]
* WWCカリビアン・タッグ王座:2回(w / [[ボビー・ジャガーズ]])<ref name="carib-t"/>
* WWC世界タッグ王座:1回(w / サム・ファトゥ)
; [[全日本プロレス]]
* [[アジアタッグ王座]]:5回(w / [[ダグ・ファーナス]])<ref name="asia-t"/>
* [[世界ジュニアヘビー級王座]]:2回
; [[ユニバーサル・レスリング・アソシエーション|UWA]]
* UWA世界タッグ王座:2回(w / ダグ・ファーナス)<ref name="uwa-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/mexico/uwa/uwa-t.html|title=UWA World Tag Team Title History|accessdate=2011-06-22|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>
; [[ECW]]
* [[ECW・タッグ王座|ECW世界タッグ王座]]:1回(w / ダグ・ファーナス)<ref name="ecw-t"/>
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 外部リンク ==
* [http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/p/phil-lafon.html Profile - Online World of Wrestling]
 
{{世界ジュニアヘビー級王座}}
{{DEFAULTSORT:くろふあつと たにい}}
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[[Category:全日本プロレスに参戦した外国人プロレスラー]]
[[Category:モントリオール出身の人物]]
[[Category:フランス系カナダ人]]
[[Category:1961年生]]
[[Category:存命人物]]