「酒井忠恒 (出羽松山藩主)」の版間の差分

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| 幕府 = [[江戸幕府]]
| 主君 =
| 藩 = [[出羽国|出羽]][[庄内藩#出羽松山藩|松山藩]]初代藩主
| 氏族 = [[酒井氏#左衛門尉酒井家|左衛門尉酒井家分家]]
| 父母 = 父:[[酒井忠勝 (出羽国庄内藩主)|酒井忠勝]]<br/>母:西田九郎左衛門の養女・奥野氏
}}
 
'''酒井 忠恒'''(さかい ただつね)は、[[出羽国|出羽]][[庄内藩#出羽松山藩|出羽松山藩]]の初代藩主。左衛門尉酒井家分家初代。[[庄内藩]]初代藩主・[[酒井忠勝 (出羽国庄内藩主)|酒井忠勝]]の三男。
 
寛永16年(1639年)8月8日生まれ。[[正保]]4年([[1647年]])12月11日、本家の庄内藩から2万石を分与されて、支藩である松山藩を立藩した。駿府加番や[[江戸城]]二の丸の石垣普請、酒井氏の菩提寺である心光寺の創建に務めた。延宝3年(1675年)8月6日(または[[1674年]])に死去し、跡を長男・忠予が継いだ。
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