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'''昭和硫黄島'''(しょうわいおうじま)は、[[鹿児島県]][[鹿児島郡]][[三島村]]に属する[[無人島]]であり、[[海底火山]]の[[噴火]]によって[[1934年]]([[昭和]]9年)から翌年にかけて、新たに形成された[[島嶼]]である。
 
[[日本]]の[[領海]]内で火山活動による自然現象により新たに形成され、かつ現在まで残存し観測記録が残る島は、[[1973年]](昭和48年)に誕生した[[小笠原諸島]]の[[西之島新島]]と、この昭和硫黄島の2島のみである<ref>青木斌・小坂丈予 編著 『海底火山の謎 西之島踏査記』 東海大学出版会 p125、p223 1974年12月20日  第1刷発行 p125、p223</ref>。'''新硫黄島'''とも呼ばれる<ref>[[国土地理院]]発行[[地形図#2万5千分1地形図|2万5千分1地形図]]での表記に従い、この項では昭和硫黄島とする。[http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=304815&l=1302025 2万5千分1地形図、薩摩硫黄島]</ref>。
 
== 概要 ==
鹿児島県[[薩摩半島]]より南へ約30キロメートルの洋上、通称上三島、三島村に属する[[硫黄島 (鹿児島県)|薩摩硫黄島]]の東海上約2キロに位置しており、周囲1.3キロメートル、面積0.07平方キロメートル<ref>[[中央公論社]]にっぽん 島の旅5 沖縄・薩南の島々 p134 1984年5月18日 第1刷 p134 ISBN 978-4124024555</ref>、最高地点[[標高]]24メートルの[[溶岩]]で覆われた無人島である。
 
== 新たな島の形成 ==
[[File:Port of Satsuma Iwo-island Aerial photograph.jpg|thumb|270px|right|薩摩硫黄島港の空中写真(1977年撮影)<br/>鉄分を含んだ温泉湧出により海は茶褐色になっている。<br/>{{国土航空写真}}]]
{{mapplot|130.3403|30.8040|昭和硫黄島の位置}}
別名、鬼界ケ島とも呼ばれる硫黄島(薩摩硫黄島)は、古くから活発な[[火山活動]]を続ける[[火山島]]であり、現在も周囲の海域では[[温泉]]湧出による変色域が多数見られ、島の玄関港である硫黄島港は、[[鉄分]]を大量に含んだ温泉水により常に海水が茶褐色に染められている。
 
1934年(昭和9年)9月12日、[[地震|地震活動]]が硫黄島周辺で活発になり、海水の沸騰や[[火山灰]]の浮遊、海水混濁が見られ、20日には[[噴煙]]が立ち上り火山性の[[軽石]]が観察されるなど本格的な海底火山活動が始まった。12月7日に新島が出現し、12月23日には高さ約20-30メートルの[[火口丘]]が確認され、直後に一旦海中に没し消滅したものの、翌1935年(昭和10年)1月5日に再び新島が出現した。その後は溶岩流などが生じ陸地が形成され、新島は安定的に成長を続けた。噴火活動が落ち着いた3月8日には硫黄島の住民が新島に上陸しており、4月1日に行われた調査では、噴火活動はほとんど終息していることが確認された。
 
== 新島形成の時系列 ==
昭和硫黄島が誕生した昭和9年から10年頃の日本は、[[戦時体制]]が強化されつつあり、さまざまな情報の統制が行われておりいたため、昭和硫黄島の誕生は[[新聞]]等で広く全国に報じられる事もほとんどなく、一般に知られることは無かったが、噴火の推移は著名な[[地理学者]]である[[田中館秀三]]<ref>田中館秀三は明治期に[[イタリア]]へ留学した日本の最初期の火山・地理学者で[[ベスビオ火山]]の研究で知られている。昭和18年に誕生した[[昭和新山]]の命名者は田中館である。</ref>により詳細に調査され、田中館によって書かれた複数の[[論文]]記録が残っている。
 
以下、昭和硫黄島形成の時系列を記す。
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[[Category:火山島]]
[[Category:海底火山]]
[[Category:上三島]]
[[Category:日本の無人島]]