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{{出典の明記|date=2008年6月}}
'''パトリック・ヘッド'''('''Patrick Head'''、[[1945年]][[6月5日]] - )は[[イギリス]][[ファンボロー]]出身の[[ウィリアムズF1|ウィリアムズF1チーム]]共同創設者であり、同チームのエンジニアリング・ディレクターである。
 
[[1977年]]から25年もの間、ヘッドはウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング社のテクニカル・ディレクターの職にあり続け、[[フォーミュラ1|F1]] (F1) における技術革新に携わってきた。ヘッドは[[2004年]]5月に[[サム・マイケル]]が後任となるまで、ウィリアムズにおける設計・製造を監督していた。

ヘッドはしばしば無愛想で遠慮無く自分の本心を社内の人間やプレス関係者に語るという評判であり、それによって彼はこのスポーツにおける非常に有名な人物に位置づけられている。
 
== 初期の経歴 ==
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ヘッドは自動車製造業や技術企業を設立しようとする数多くの新プロジェクトに関わり、その間に[[フランク・ウィリアムズ]]と出会った。しかし、この分野でうまく成功を掴めなかったことに幻滅したヘッドは、モータースポーツを諦めて[[ボート]]製造へと転職した。
 
[[1976年]]、当時34歳だったフランク・ウィリアムズは自分自身のチームを立ち上げる機が熟したと考え、ヘッドを再びF1の世界へ引き戻すべく勧誘した。この時テクニカル・ディレクターの採用試験の面接で『11212時間、週7日間でも働く意欲があるか?』というウィリアムズの質問に対してヘッドが『ありません。でもそんなに頑張らなければいけないのは、やり方が悪いからですよ』と答えた逸話がある。
 
一旦はうまく行かなかったものの、[[1977年]][[2月8日]]にウィリアムズ70%、ヘッド30%の出資によってウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング社が設立された。1977年にはチームは市販の[[マーチ・エンジニアリング|マーチ]]・シャシーを用いて出走したが、[[1978年]]には[[サウジアラビア航空|サウジ航空]]の後援を受け、[[オーストラリア]]人ドライバーの[[アラン・ジョーンズ]]と契約して、ヘッドの設計したFW06を初めて出走させた。予算は乏しく、ウィリアムズはしばしば電話ボックスから経営を取り仕切る羽目になったが、それでもヘッドは何とかしっかりした車を設計した。
 
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[[ニール・オートレイ]]、[[ロス・ブラウン]]、[[フランク・ダーニー]]、[[エグバル・ハミディ]]、[[ジェフ・ウィリス]]、[[エンリケ・スカラブローニ]]といった多くのトップエンジニアたちは、キャリアの初期においてヘッドの監督下で働き、他のチームで上級職に就いた。特にロス・ブラウンはフェラーリにおいてヘッドと同等の地位に就くという成功を遂げた。ヘッドとエンジニアたちとの連係でおそらく最も実り多い時期は、直前に[[マーチ・エンジニアリング#レイトンハウスとのジョイント|レイトンハウス]]を解雇された[[エイドリアン・ニューウェイ]]を引き抜いた[[1990年]]に始まると言えるであろう。2人はすぐに1990年代における類まれなデザイン面での連係を実現し、かつてないレベルでF1を席巻するマシンを作り上げた。[[1991年]]から[[1997年]]までの7年間で、ウィリアムズはドライバーズ/コンストラクターズタイトルをそれぞれ4回ずつ獲得し、59勝を挙げた。
 
[[1998年]]にニューウェイが去ってから、ウィリアムズはしばしば力を使い果たしたように見え、シーズンに1、2勝程度しかできないことが続いた。ついに2004年、ヘッドがテクニカル・ディレクターを辞職し、33歳のサム・マイケルが後任となることが発表された。ヘッドのエンジニアリング・ディレクターへの異動は事実上の降格であり、また彼がもはやかつての栄光をチームにもたらすだけの力を持たないことをサー・フランク・ウィリアムズがついに認めたという意味であると広く受け止められた。降格というよりは年齢によるセミリタイアという表現のほうが事実に近い。そしてチームが危機に陥った2006年には本格的に復帰している
 
降格というよりは年齢によるセミリタイアという表現のほうが事実に近い。
そしてチームが危機に陥った2006年には本格的に復帰している。
自動車メーカーの多くがF1チームの[[株式]]を取得する流れの中で、ヘッドが自分の所有分を[[BMW]]に売却したのではないかという観測が根強いが、これについては確認されていない。BMWがウィリアムズとの協力をやめ、[[BMWザウバー]]としてザウバーを買収しメーカーワークスチームとして参戦している現在、この観測は誤りだったと思われる。
 
== 声の大きさ ==
ヘッドは声が大きいことで有名である。2011年にチームに所属しているドライバー([[ルーベンス・バリチェロ]]と[[パストール・マルドナド]])によると、エンジニアと無線で会話しているときにヘッドの声が邪魔でエンジニアの声が聞こえなくなることや、ヘッドの声は暴れ馬がいなないているようなものであるといわれる<ref name="F1Racing JP 201106">{{Cite book|和書|title=F1RACING 2011年6月情報号|year=2011|publisher=[[三栄書房]]|pages=p.24|id=ISBN 9784779612343}}</ref>。
 
1987年から1988年にかけてウィリアムズに在籍した[[リカルド・パトレーゼ]]は、「お互い熱くなると大変だった。声の大きさではヘッドと勝負にならなかった」と評している<ref name="F1Racing JP 201106" />。
 
{{ウィリアムズ}}