「日高国」の版間の差分
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*ホロイズミ場所・・・後の幌泉郡
[[江戸時代#江戸時代初期|江戸時代初期]]、日高国域ではシ
江戸時代から[[明治時代]]初頭の交通について、陸上交通は、[[渡島国]]の[[函館市|箱館]]から[[道東]]や[[千島国]]方面に至る道(浦河以西は[[国道235号]]の、浦河以東は[[国道336号]]の前身)の途上であったが、沿岸部に一部地形が険しい難所があったため、[[寛政]]11年蝦夷地取締御用を命ぜられた大河内善兵衛政寿は中村小市郎、[[最上徳内]]らに命じ様似郡の様似山道および幌泉郡の猿留山道などを開削させた(国道336号の前身)。これらの山道は[[享和]]2年12月から翌3年にかけて[[南部藩]]によって修繕されている。また、[[伊能忠敬]]や[[松浦武四郎]]なども通行している。冬島~幌満間の様似山道は道程3里(12キロ)弱であったが「コトニ小休所」が設けられ、明治6年には山中に旅籠屋「原田宿」が建てられている。日高国内の河川には藩政時代から[[三県一局時代#廃使置県|廃使置県]]までの間16箇所の渡船場数があり[[渡し船]]なども運行されていた。
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