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===沈没===
[[Image:USSOBrienDD415_torpedo.jpg|left|thumb|伊19からの魚雷が命中したオブライエン。左遠方は炎上中の空母ワスプ(1942年9月15日)]]
8月8日に[[ガダルカナル島の戦い]]が始まり、日米双方の艦隊[[機動部隊]]は[[ガダルカナル島]]周辺や近隣海域で戦闘や護衛任務を行っていた。[[第一次ソロモン海戦]](8月8日、9日)、[[第二次ソロモン海戦]](8月24日)と2つの大きな海戦も起こっていた。海戦でなくても日米双方の艦隊おり[[機動部隊]]は[[ガダルカナル島]]周辺や近隣海域で戦闘や護衛任務を行っていた。第17任務部隊もガダルカナル島行きの輸送船団の間接護衛にあたっていた<ref name="a">木俣, 311ページ</ref>。その第17任務部隊は、8月31日に空母[[サラトガ (CV-3)|サラトガ]] (''USS Saratoga, CV-3'') が[[伊号第二六潜水艦|伊号第二六潜水艦(伊26)]]の雷撃で損傷してフレッチャー中将とともに戦場を去り、[[ジョージ・D・マレー]]少将座乗の[[ホーネット (CV-8)|ホーネット]] (''USS Hornet, CV-8'') が代わりに加入<ref name="a" />。[[トーマス・C・キンケイド]]少将の第16任務部隊も[[エンタープライズ (CV-6)|エンタープライズ]] (''USS Enterprise, CV-6'') が第二次ソロモン海戦で損傷したため後方に下がり、代わりに[[ワスプ (CV-7)|ワスプ]] (''USS Wasp, CV-7'') を基幹とする第18任務部隊(レイ・ノイズ少将)が戦場に到着し、2つの任務部隊でガダルカナル島の戦いを援護していた<ref>永井、木俣, 150、151ページ</ref>。
 
9月15日の昼前、[[伊号第一九潜水艦|伊号第一九潜水艦(伊19)]]はワスプに対して魚雷を6本発射し、うち3本がワスプに命中<ref name="b">永井、木俣, 155ページ</ref>。残る3本は、約5海里離れた所を航行中の第17任務部隊に向かっていった<ref name="b" />。1本はマスティンの艦底を通過した後、[[戦艦]][[ノースカロライナ (戦艦)|ノースカロライナ]] (''USS North Carolina, BB-55'') の左舷に命中<ref>永井、木俣, 155、156ページ</ref>。そして、最後の2本はオブライエンに向かっていた<ref name="c">永井、木俣, 156ページ</ref>。1本は回避したものの、もう1本が艦首に命中<ref name="c" />。オブライエンの艦首は10番フレームより前が大破し、爆発の衝撃で隔壁の破損や船体へのクラック発生、外板の[[リベット]]脱落など起こった<ref name="d">岡田, 282ページ</ref>。直ちに応急措置を施し、13ノットの速力で[[エスピリトゥサント]]に向かい、9月16日に到着<ref name="d" />。在泊していたカーティスに横付けし、約40時間に及ぶ応急修理を行った<ref name="d" />。また、船体の負担軽減のため一部の弾薬の陸揚げや重量物の後方への移動を行った<ref name="d" />。9月21日、オブライエンはエスピリトゥサントを出港し、9月23日に[[ヌメア]]に到着<ref name="d" />。ここでは特務艦[[:en:USS Argonne (AS-10)|アルゴンヌ]] (''USS Argonne AG-31'') による応急修理が行われた<ref name="d" />。仮艦首および船体各部への補強材の設置が行われ、更なる重量軽減策として魚雷発射管やレーダー装置の撤去が行われた<ref name="d" />。10月10日、本格的な修理のためサンフランシスコに向けて出港した。
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ところが、航海中に船体への漏水と屈曲が発見され、10月13日に急遽[[スバ]]に寄航して艦底部の更なる補強工事と排水作業を行う<ref name="d" />。作業後、10月16日に出港。2日後、船体のあらゆる所に新たなクラックが生じているのが発見された<ref name="e">岡田, 282ページ</ref>。ただちに重量物の投棄が行われ、また艦の放棄も検討されたが、艦長はパゴパゴへの回航が可能であると考えていた。しかし10月19日6時ごろ、ついにクラックは上甲板に達し、船体は2つに折れ始めた<ref name="e" />。6時30分に総員退艦が令せられ、その30分後に艦は放棄された。そして、船体が折れ始めて約1時間半後の8時前にオブライエンはサモア沖で沈没した<ref name="e" />。乗員は漂流の後、全員救助された。オブライエン沈没の後、アメリカ海軍で原因調査を行った結果、「十分な調査を行わないまま、部分的な応急修理を施しただけで外洋に出た事が沈没の原因である」と結論付けられた<ref name="e" />。
1942年8月17日、オブライエンは[[第17任務部隊]]と出撃した。9月15日、日本の潜水艦[[伊号第一九潜水艦|伊号第一九潜水艦(伊19)]]の発射した魚雷の内1本が命中した(因みにこの魚雷は[[ワスプ (CV-7)|空母ワスプ]]を沈没させた魚雷6発のうち、外れた3発の一部が偶然10km先にいた本艦に命中したもの)。オブライエンは21日に[[エスピリトゥサント]]に着き応急修理を受けた後9月21日に[[ニューカレドニア]]の[[ヌーメア]]へ向かい、そこで雑役艦[[アルゴン (雑役艦)|アルゴン]]による修理を受け10月10日にサンフランシスコへ向けて出港した。10月13日[[スバ]]に寄航。16日に出港。10月19日航行中に損傷が原因で沈没。乗員は全員救助された。
 
オブライエンは[[第二次世界大戦]]の戦功で1個の従軍星章を受章した。
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== 参考文献 ==
* 永井喜之、木俣滋郎「アメリカ空母「ワスプ」」『撃沈戦記』[[朝日ソノラマ]]、1988年、ISBN 4-257-17208-8
* 木俣滋郎『日本潜水艦戦史』図書出版社、1993年、ISBN 4-8099-0178-5
* 「世界の艦船増刊第43集 アメリカ駆逐艦史」海人社、1995年
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* [[第二次世界大戦中のアメリカ海軍の喪失艦一覧]]
* [[酸素魚雷]]
* [[ダメージコントロール]]
 
==外部リンク==
* [http://www.navsource.org/archives/05/415.htm navsource.org]
* [http://www.researcheratlarge.com/Ships/DD415/DD415ForwardRepair.html Forward Repair of Torpedo Damage 1942]
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