「山本光春」の版間の差分

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*1970年 副社長
*1972年 社長
 
== エピソード ==
[[太平洋戦争]]海戦のスクープを毎日新聞はものにしたが、そのとき整理部社会面担当デスク。翌日号外を発行したときは自ら外に出て配布したという。部長は終戦時自らの責任を痛感し、毎日新聞の廃刊を主張、西部本社版を終戦勅語と公的発表以外のものは一切載せず、紙面の半分以上を白紙で発行した[[高杉孝二郎]]。同僚に[[古谷綱正]]、[[狩野近雄]]ら。
 
[[竹槍事件]]では整理部副部長。[[新名丈夫]]の記事に「勝利か滅亡か 戦局はここまで来た」「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」と見出しをつける。処分こそされなかったが、軍部の反発を招いたとして丸坊主になった。
 
==参考文献==
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