「同盟市戦争」の版間の差分

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市民権の要求をローマが拒絶したために、比較的に貧しい地域に住む人々が中心となってローマに対し叛旗を翻した。それがこの戦いである。
 
ローマ軍の強さは、高度にシステム化・マニュアル化された軍制にあり、それゆえ稚拙な戦術しか持たない蛮族や、司令官の力量に由来する他国の軍に対して勝利を収めてきた。しかしこの戦争では、それまで同じ軍隊で生活をしていた将官や兵士同士が戦うようになったため、叛乱側もローマの戦法は知っており、各地で激戦となった。ローマ側で特に目覚ましい戦果を挙げたのが[[ルキウス・コルネリウス・スッラ]]であった。
 
紀元前90年の冬、ローマは各勢力に妥協してローマ市民権を与えるユリウス市民権法を[[執政官]]である[[ルキウス・ユリウス・カエサル (紀元前90年の執政官)|ルキウス・ユリウス・カエサル]](独裁官[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]の伯父)が提出する。この法案の可決以降戦線は縮小し、抵抗する者はいたものの[[紀元前89年]]には事実上終結した。敗者に対する寛大な処置が戦いの収束を加速したことも挙げられよう。そしてローマも[[ミトリダテス戦争]]へ対処するために収束を急ぐ必要もあった。