「グエル公園」の版間の差分

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== 概要 ==
*施主の[[エウゼビ・グエイ]]伯爵(スペイン語読みではグエルとなる)と[[アントニ・ガウディ]]の夢が作り上げた分譲住宅で、1900年から1914年の間に建造された。彼らが最も傾注していた芸術は[[リヒャルト・ワーグナー]]の「[[楽劇]]」で、ガウディは同じ芸術センスを持つグエル伯爵の下で、自然と調和を目指した総合芸術を作り上げようとした。この頃、バルセロナでは工業化が急速に進んでいた。おり、それに対してガウディとグエルはこの場所に、人々が自然と芸術に囲まれて暮らせる、新しい住宅地を作ろうとした。しかし、ふたりの進みすぎた発想と自然の中で暮らす価値観は、当時理解されなかった。結局、広場、道路などのインフラが作られ60軒が計画されていたが、買い手がつかず、結局売れたのは2軒<!--3軒という話もあり-->で、買い手はガウディ本人とグエイ伯爵だけであったという。グエイ伯爵の没後に工事は中断し、市の公園として寄付される。現在はガウディが一時住んだこともある家が、ガウディ記念館として公開されている。中にはガウディがデザインした家具なども集められて展示されている。<br>
*グエル公園の入口に建つ門衛の小屋と東屋をみて[[サルバドール・ダリ]]は「砂糖をまぶしたタルト菓子のようだ」と評した。「ギリシア劇場」と名付けられているテラス、大階段に鎮座する人気のトカゲ、敷地中央にあるホール天井の円形モザイク装飾等、粉砕タイルを使用してのデザインはガウディの助手[[ジュゼップ・マリア・ジュジョール]]の貢献が大きい。
 
広場、道路などのインフラが作られ、60軒が計画されていたが買い手がつかず、結局売れたのは2軒<!--3軒という話もあり-->で、買い手はガウディ本人とグエイ伯爵だけであったという。
 
グエイ伯爵の没後に工事は中断し、市の公園として寄付される。現在はガウディが一時住んだこともある家が、ガウディ記念館として公開されている。中にはガウディがデザインした家具なども集められて展示されている。
 
== 登録経緯 ==