「藤原信実」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Takanuka (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
勅撰集入集
1行目:
[[ファイル:Fujiwara no Nobuzane.jpg|220px|thumb|藤原信実像([[神護寺]]蔵)]]
'''藤原 信実'''(ふじわら の のぶざね、[[安元]]2年([[1176年]])頃 - [[文永]]3年([[1266年]])以降)は、[[鎌倉時代]]前期から中期にかけての[[公家]]・[[画家]]・[[歌人]]。[[藤原北家]]、[[京職|右京大夫]][[藤原隆信]]の子。[[官位]]は[[正四位|正四位下]]・左京権大夫。法号は'''寂西'''。
 
== 人物 ==
信実は、隆信ととも同様に[[絵画]]・[[和歌]]に秀で、大阪[[水無瀬神宮]]に伝わる「[[後鳥羽院]]像」([[国宝]])は信実の作と考えられている。短い線を何本も重ねて、主体の面影を捉える技法が特色である。大蔵集古館所蔵の「随身庭騎絵巻」や佐竹本「[[佐竹本三十六歌仙絵巻|三十六歌仙絵巻]]」などの作品は信実とその家系に連なる画家たちによって共同制作されたものと推測されている。信実の家系は八条家として[[室町時代]]中期頃まで続き、いわゆる[[似絵]]の家系として知られる。
 
勅撰歌人として『[[新勅撰和歌集]]』(10首)以下の[[勅撰和歌集]]に122首が入集。自撰歌集に『藤原信実朝臣集』がある。また、信実が編纂し、[[延応]]2年([[1240年]])前後に成立した説話集として『[[今物語]]』がある。
 
== 系譜 ==
*父:[[藤原隆信]]
*母:藤原長重の娘
*生母不明