「奮龍 (ミサイル)」の版間の差分

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高度10,000 mを飛行可能なアメリカの[[B-29 (航空機)|B-29]]に対抗するために、昭和19年初頭から計画が始まった。
 
[[大日本帝国海軍]][[艦政本部]]第四部(船体設計担当)の吉田技術少佐の発案であった。
 
昭和19年7月2日に第四課首脳陣に対する「自動追尾噴進弾」の説明会が行われ、艦政本部の研究機関である[[海軍技術研究所]]で本格的に開発が始まった。
 
計画では射程20,000 mの液体燃料ロケットの[[ビームライディング]]誘導方式であった。
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昭和20年6月に特型噴進弾四型は「奮龍」と命名された。
 
昭和20年7月には[[特呂二号原動機|液体燃料ロケットエンジン]]の実用化目途がついた。
 
昭和20年8月16日に四型の最初の発射実験が計画されたが、8月15日の終戦までに液体ロケットエンジンは組み立て場に届かなかった。