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高度10,000 mを飛行可能なアメリカの[[B-29 (航空機)|B-29]]に対抗するために、昭和19年初頭から計画が始まった。
[[大日本帝国海軍]][[艦政本部]]第四部(
造船部。
船体設計担当)の吉田技術少佐の発案であった。
昭和19年7月2日に第四部首脳陣に対する「自動追尾噴進弾」の説明会が行われ、艦政本部の研究機関である[[海軍技術研究所]]で本格的に開発が始まった。