「契約更改」の版間の差分

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シーズン終了後に、所属球団と選手とが今後の雇用契約に関して協議することを示す。同時に、契約の調印・保留といった内容を球団やマスコミを通じて公表する。また主力選手の場合は、契約に関して記者会見を行うのが通例となっている。選手は球団職員ではなく[[個人事業主]]となっており、球団と個人とで契約を行う。よって自ら[[確定申告]]を行わなければならない。
 
一軍選手の交渉は11月上旬頃から、主に球団事務所で行われる。大物と呼ばれる選手は年末近くになるが、事前の下交渉によって合意に至っている場合が多い。なお一軍に先立って行われる二軍選手はほとんど交渉の余地がなく、金額提示と署名捺印が流れ作業的に行われる。
契約終了後、取り交わされた契約の内容をマスコミや記者会見より公表するのが通例となっている。公表される年棒金額は'''推定金額'''であり、球団と選手と取り交わされた年棒金額と同じかどうかは定かではない。しかし記者会見場で選手より契約内容や年棒金額が公表される場合がある。なお、プロ野球以外のスポーツ選手においては、マスコミへの契約内容の公表や、契約に関する記者会見を行うことはほとんど無い。
 
契約終了更改後、取り交わされた契約の内容をマスコミや記者会見より公表するのが通例となっている。公表される年棒金額は'''推定金額'''でありだが大きく外れることは少なく球団と選手と取り交わされた年棒金額と同じかどうかは定かはなあることも多という。しかし記者会見場で選手より契約内容や年棒金額が公表される場合がある。なお、プロ野球以外のスポーツ選手においては、マスコミへの契約内容の公表や、契約に関する記者会見を行うことはほとんど無い。
提示された金額に納得がいかず、その金額を保留する選手も見受けられる。2回目以降の交渉になると、保留した金額より若干上積みされていることが多いと言う。また、これを巡って選手が法的措置に乗り出す例もある。近年は保留する理由として、交渉時の球団関係者の態度を挙げる選手もいる。過去には以下のような実例もあった。
 
提示された金額に納得がいかず、その金額を保留する選手も見受けられる。2回目以降の交渉になると、保留した金額より若干上積みされていることが多いとう。また、これを巡って選手が法的措置に乗り出す例もある。近年は保留する理由として、交渉時の球団関係者の態度を挙げる選手もいる。過去には以下のような実例もあった。
 
* 交渉中に[[携帯電話]]を鳴らされた([[赤田将吾]])
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この他に、契約更改の場にも関わらず[[印章]]持参を忘れてしまい保留した選手もいる。
 
日本プロ野球では長らく1992年に[[代理人東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]を伴っの[[古田敦也]]が初め(または[[代理人単独で)の]]による交渉を宣言したが球団が認められていず、2000年にて代理人制度が確立された。[[読売ジャイアンツ]]の[[渡邉恒雄]]オーナー(当時)は最後までこれを認めなかったことから、当時のエース[[上原浩治]]、渡邉は2004年球団を批判辞任しその後巨人も容認したことがあ。なお代理人になれ(現在全球団弁護士のみであり、事前に選手会に登録する必要認めてい。また契約できる選手は1人のみ
 
契約更改ができない場合、2月以降の春季キャンプには自費での参加が強いられる。それでもなお契約更改に至らない場合は年俸調停委員会に調停を申請することになができる([[参稼報酬調停]])。委員会の決定は変更することができず、選手が契約を拒否した場合、その選手は任意引退扱いとなる。それ2月1日まもゴネる選手に契約更改毎年2~3人程できな場合は自費での春季キャンプ参加が強いられが、自費分は契約成立後に返還されることがある<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/110201/bsb1102010504004-n2.htm 虎・久保は自費キャンプ、交渉まとまらず]サンスポ 2011年2月1日</ref>
 
== 日本のプロレスの場合 ==
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プロレスにおいては、団体と選手の契約が年単位であるため、年明け最初のシリーズを終えた後に契約更改が行われる。この契約更改を行うことで、団体に残留するという意思表示となる。
 
== 参考文献 ==
『プロ野球選手という生き方』 斉藤直隆、アスペクト、2004年
 
== 脚注 ==
<references/>
 
== 関連項目 ==