「星野長太郎」の版間の差分

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*[[1892年]](明治25年):蚕糸業振興会を結成し、幹事に就任。
*[[1892年]](明治25年):長太郎は、フランス、イタリア、清国など主要蚕糸生産国の状況や最大の輸出先であるアメリカ絹織物の生産・需要動向等を踏まえて、日本の生糸輸出の問題点と緊急課題を詳述した著書「全世界生糸大勢」(70ページ)を自ら編集し発行。
*[[1893年]](明治26年):[[クリストファー・コロンブス|コロンブス]]の[[アメリカ大陸]]発見400周年を記念して開催された[[シカゴ万国博覧会 (1893年)|シカゴ万国博覧会]](シカゴ・コロンブス世界博覧会)を視察。この時に持ち帰った樹木の一本が現・[[群馬県立前橋高等学校]]の敷地に植えられた北アメリカ原産の落葉針葉高木[[ラクウショウ]]といわれ、[[前橋市]]指定天然記念物(目通り3.0㍍、樹高20㍍)となっている。[[群馬県立中之条高等学校]]の敷地に植えられている[[:W:Taxodium distichum|ラクウショウ]]([[群馬県]]指定天然記念物(目通り3.0㍍、樹高25㍍))も、この時の一部といわれている。水沼([[桐生市]][[黒保根町]])の実家裏庭にも一本植えられている。
*[[1893年]](明治26年):第3回農蚕品評審査委員を拝命。
*[[1893年]](明治26年):[[新井領一郎]]が日本に一時帰国した。横浜同伸会社は海外売上の伸張に伴い、[[新井領一郎]]の報酬の歩合制から給与制への変更を迫ったが意見の一致をみなかった。このため領一郎は横浜同伸会社の取締役(ニューヨーク支店長)を辞任。同年、領一郎は、[[森村市左衛門|森村豊]]の兄である[[森村市左衛門]]の協力を得て横浜生糸合名会社(資本金50万円)を設立し、この時専務取締役に就任。兄長太郎とは別に、独自に新たな事業展開を開始した。
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