「テル・ハラフ」の版間の差分

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'''テル・ハラフ'''(Tell Halaf、[[アラビア語]]: تل حلف ‎)は[[シリア]]北東部の[[ハサカ県]]にある[[新石器時代]]の[[考古遺跡]]。[[トルコ]]との国境付近にあり、国境の反対側は[[シャンルウルファ県]]にあたる。この遺跡からは、幾何学模様や動物模様の描かれた、釉薬の塗られた陶器が見つかっており、こうした特徴のある新石器文化はテル・ハラフの名をとって'''ハラフ文化'''((英語表記では) Halafian(Halafian culture、ハラフィアン文化)と呼ばれるようになった。遺跡は[[紀元前6千年紀]]に遡り、後に[[アラム人]]の[[都市国家]]'''グザナ'''(Guzana、もしくは'''ゴザン''' Gozan)が同じ場所に造られた。
 
== 発掘 ==
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[[紀元前10世紀]]、[[アラム人]]の小王国ビト・バヒアニ(Bit Bahiani)の王たちがテル・ハラフの場所に本拠を置き、「ゴザン」(Gozan)、または[[アッカド語]]で「グザナ」(Guzāna)と呼ばれる都市を築いた。カパラ王(Kapara)は、浮き彫りをしたオーソスタット(orthostat、壁の下部を覆う石製の腰羽目板)や彫像など、華麗な装飾を施した新ヒッタイト様式の宮殿(ヒラニ宮殿 Hilani と呼ばれている)を建設している。
 
紀元前894年、[[アッシリア]]の王[[アダド・ニラリ2世]]時代の粘土板文書では、グザナはアラム人の都市国家で属国であるとして記録されている。紀元前808年には、グザナの街とその周囲の領域はアッシリア帝国の州となった。城塞の丘の東半分に宮殿があったが、これが州の知事の居城となった。[[旧約聖書]]の[[列王記]]では、アッシリアの[[シャルマネセル5世]]によって[[サマリア]]から連行された[[イスラエル王国]]の補囚がゴザン(グザナ)を含むハブール川流域の各地に移住させられたことについても触れられている(列王記下17章6節、同18章11節)。グザナの街はアッシリア帝国の崩壊を生き延び、[[古代ローマ]]や[[パルティア]]が争う時代まで都市として存続した。[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]はこの町を「ガフザニス」({{lang|el|Γαυζανις}})と書いている。
 
== 文化 ==