「グレゴール・ヨハン・メンデル」の版間の差分

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Yanajin33 (会話 | 投稿記録)
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有名な[[エンドウマメ]]の交配実験は[[1853年]]から[[1868年]]までの間に行われた。エンドウマメは品種改良の[[歴史]]があり様々な形質や品種があり、人為交配([[人工授粉]])が行いやすいことにメンデルは注目した。次に交配実験に先立って、種商店から入手した 34品種のエンドウマメを二年間かけて試験栽培し、形質が安定している(現代的用語で'''純系'''に相当する)ものを最終的に 22品種選び出した。これが遺伝法則の発見に不可欠だった。メンデル以前にも交配実験を行ったものはいたが、純系を用いなかったため法則性を見いだすことができなかった。
 
その後交配を行い、種子の形状や背の高さなどいくつかの[[表現型]]に注目し、数学的な解釈から、[[メンデルの法則]]と呼ばれる一連の法則を発見した(優性の法則、分離の法則、独立の法則)。これらは、遺伝子が[[独立性|独立]]のときのみ成り立つものであるが、メンデルは[[染色体]]が対であること([[複相]])と共に、独立・[[遺伝的連鎖|連鎖]]についても解っていたと思われる。なぜなら、メンデルが発表したエンドウマメの七つの[[表現型]]は、全て独立遺伝で 2n=14であるからだ。 である<!--註:後世の研究により7つの形質の対応する遺伝子のうちいくつかは連鎖していることが示されているので,原文のような憶測はもはや成り立たない.独立の法則の導出に使われた形質の組み合わせは,運良く独立の相同染色体に載っていたか,もしくは連鎖していたにもかかわらず距離が離れていたためかなりの確率で交差を起こし,あたかも独立であるかのように見えたかのどちらかであると考えられる;参考文献,Mendelian controversies: a botanical and historical review. Fairbanks and Rytting, American Journal of Botany,2001;88:737-752>752 -->。
 
この結果は口頭での発表は[[1865年]]に[[ブリュン自然協会]]で、論文発表は[[1866年]]に『ブリュン自然科学会誌』で行われた。タイトルは「Versuche über Pflanzen-Hybriden」であった。<!-- 註:英語などのラテン文字を使う記事では、書名などはイタリック体であるが、日本語では、「地の文」との区別が自明的に行われているので不要。またイタリック体にすると、読みづらくなる。-->さらにメンデルは当時の細胞学の権威[[カール・ネーゲリ]]に論文の別刷りを送ったが、数学的で抽象的な解釈が理解されなかった。ネーゲルから、ネーゲルの研究していたミヤマコーゾリナによる実験を勧められ、研究を始めたがこの植物の形質の要素は純系でなく結果は複雑で法則性があらわれなかったことなどから交配実験から遠ざかることになった。1868年に修道院長に就任し多忙な職務をこなしたが、気象の分野の観測や、井戸の水位や太陽の黒点の観測を続け、気象との関係も研究した。没した時点では気象学者としての評価が高かった<ref>『[[天才たちの科学史]]』杉春夫、[[平凡社新書]](2011年)</ref>。