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===無産政党の消長===
<!--各無産政党は各論で説明するため、リンクは貼らない。-->
日本の無産政党は、明治中頃の'''[[東洋社会党]]'''など、社会主義とはほとんど無縁の政党も存在した。しかし本格的な無産政党は[[片山
社会民主党ははじめて社会主義的宣言をしたことで知られているが、時の伊藤内閣は即日結社禁止とした。その後も社会主義者は'''[[日本社会党 (1906年)|日本社会党]]'''の結党などを模索したが(1906年2月)、解散を余儀なくされた。加えて「[[幸徳事件|大逆事件]]」が起って社会主義集団は壊滅状態となり、冬の時代と称される閉塞状態に陥った。
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