「ドン・ラーセン」の版間の差分

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2010年のワールドシリーズロイ・ハラデイノーヒットノーラン を達成したことを加筆、出典の追加
須磨寺横行 (会話 | 投稿記録)
→‎人物・来歴: ロイ・ハラディが達成したのははワールドシリーズではない
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[[1953年]]に[[ボルチモア・オリオールズ|セントルイス・ブラウンズ]]でメジャーデビュー。「夜遊び」が好きでこのためかなかなか好成績はあげられず翌[[1954年]]にチームはボルチモアに移転しオリオールズとなったが、この年3勝21敗の成績で[[アメリカンリーグ|ア・リーグ]]最多敗戦を記録。この年のオフ、史上最多の17名が関与した[[トレード]]で[[ニューヨーク・ヤンキース]]に移籍(オリオールズ7人対ヤンキース10人)。ただしこれで行状があらたまったわけではなく、移籍初年度の[[1955年]]にはスプリング・トレーニング(日本のプロ野球でいう春季キャンプに相当)で早朝5時に車を電信柱にぶつけている。監督の[[ケーシー・ステンゲル]]は「電報でも出しに行ったんだろう」と語っていたという。
 
[[1956年]]には自己最多の11勝(7敗)をあげてチームのリーグ優勝に貢献。[[1956年のワールドシリーズ|その年のワールドシリーズ]]はヤンキースと[[ロサンゼルス・ドジャース|ブルックリン・ドジャース]](当時はニューヨーク)の「地下鉄シリーズ」となった。ドジャースの本拠地[[エベッツ・フィールド]]で開幕し、ドジャースがまず連勝。[[ヤンキー・スタジアム (1923年)|ヤンキー・スタジアム]]に移った第3・4戦はヤンキースが連勝し、迎えた第5戦。先発したラーセンはドジャース打線に1本のヒットも四死球も、そして1人のランナーも許さず[[ワールドシリーズ]]史上初の[[完全試合]]を達成した<ref>{{cite web|url=http://bleacherreport.com/articles/506776-the-100-must-clutch-moments-in-sports-history#page/36 |title=Don Larsen's Perfect Game |publisher=bleacherreport.com |date=2010-11-08 |accessdate=2010-12-04}}</ref>。現時点で唯一の記録で、[[ノある。シリヒットノズは最終戦までもつれたがヤンキスが勝ち、ーセ]]も[[2010年のワールドシリーズ]]で[[ロイ・ハラデイ最優秀選手 (MLB)|MVP]]が記録しているのみである<ref>{{cite web|url=http://sports.espn.go.com/mlb/recap?gameId=301006122 |title=Roy Halladay throws second no-hitter in postseason history |publisher=及び[[ESPNベーブ・ルース賞]] |date=2010-10-06 |accessdate=2010-12-04}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.philly.com/philly/sports/homepage/20101008_Inside_the_Phillies__On_day_after__Doc_sticks_to_routine.html |title=に選ばれた。
Inside the Phillies: On day after, Doc sticks to routine |publisher=philly.com |date=2010-10-08 |accessdate=2010-12-04}}</ref>。シリーズは最終戦までもつれたがヤンキースが勝ち、ラーセンはシリーズ[[最優秀選手 (MLB)|MVP]]及び[[ベーブ・ルース賞]]に選ばれた。
 
翌[[1957年]]も10勝をあげるが、2けた勝利はその2シーズンのみ。ヤンキースには[[1959年]]まで在籍しその後は[[1960年]]に[[オークランド・アスレチックス|カンザスシティ・アスレチックス]](そのときの交換相手の一人に[[ロジャー・マリス]]がいる)、[[1961年]]途中に[[シカゴ・ホワイトソックス]]、[[1962年]]に[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]、[[1964年]]途中に[[ヒューストン・アストロズ|ヒューストン・コルト.45's]]([[1965年]]よりアストロズに名称変更)、[[1967年]]に[[シカゴ・カブス]]に移籍し1967年限りで現役引退。