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==週刊社会タイムス==
[[会社]]の[[宣伝]]紙にまで形を変えてしまっていた社会タイムスを再び[[政治]]新聞として復活させ、読者を増やしていくことは至難の技であったが、社員は[[給料]]の遅配欠配にもめげず、新聞を出し続けた。最盛期には、発行部数2万にまで増えたという。編集部の中心は太田派[[社会主義協会]]で、その立場から社会党の動向や[[金大中]]拉致事件など、様々な社会問題を取り上げた。しかし、[[日本共産党]]の勢力が強い関西で、共産党に対抗するため、関西の社会党内で[[社公民路線]]が台頭すると、社公民連合路線をめぐって、週刊社会タイムス編集部は分裂し、反社公民連合派は社会タイムスから離れて、「ぴーぷる」を創刊し、社公民連合派の社会タイムスはその後しばらく発行され続けるが、
しかし、社会タイムスに携わった人々の中から、多くのジャーナリストや市民運動家が誕生しており、社会タイムスは戦後のジャーナリズム史・社会運動史に一定の影響を与えたということが出来る。
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