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出典明記 <ref name="AUM">『オウムという悪夢』(別冊宝島229)</ref> 。
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== 概要 ==
[[仏教]]は、[[在家]]・出家に大別できる。在家者には[[殺生戒]]、[[偸盗戒]]、[[邪淫戒]]、[[妄語戒]]、[[飲酒戒]](おんじゃかい)の[[五戒]]が授けられる。それに対し出家者には[[具足戒]]が授けられる。[[戒]]の条項は数が多くかつ具体的であり、[[比丘]]は250戒、[[比丘尼]]は348戒にものぼる。[[釈尊]]を師とし出家修行を行うことはすなわちこの戒を守った修行スタイルを維持することに他ならない。戒を授かった修行者には目に見えない力である[[戒体]]が備わるとされる。具足戒や[[サンガ]]の運営方法は、[[仏典]]の律蔵に収められており、釈尊が制定したこれらは弟子が勝手に変更することはできない。[[大乗仏教]]は、これをもって[[小乗]]と軽蔑し戒律を守ることをやめてしまった。南伝した[[スリランカ]]や[[タイ]]の仏教では、現在もなおこの戒を厳守している<ref name="AUM">『オウムという悪夢』([[別冊宝島]]229)</ref> 
  
 
仏教教団において剃髪(ていはつ)して[[袈裟]]を被い、[[受戒]](じゅかい)し、[[沙弥]]・[[沙弥尼]]となることを言うが、[[具足戒]]を受けた[[比丘]]・[[比丘尼]]を呼ぶ場合にも使う。[[在家]](ざいけ)と対比される。[[インド]]では、紀元前5世紀頃、[[バラモン教]]の伝統的権威を認めない[[沙門]](しゃもん)と呼ばれる修行者が現れ、[[解脱]](げだつ)への道を求めて[[禅定]]や苦行などの修行にいそしんだ。有力な沙門の下には多くの弟子が集まり、出家者集団を形成したが、[[釈迦]]もその沙門の1人であった。仏教における出家の伝統はこれに由来する。剃髪した僧侶が多いとされるが、中には剃髪せず、ごく一般的な髪型をしている者も数多く存在する。
 
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[[中国]]では、仏教の出家主義は[[儒教]]の側から「[[孝]]」などの社会規範を乱すものとしてしばしば非難を受けた。また[[唐代]]以降は、国家経済的見地から出家行為自体を統制し、出家者数を国家的に管理する度僧制度が整えられた。
 
==脚注==
<references />
 
== 関連項目 ==