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== 概要 ==
日本の[[後宮]]制度は[[飛鳥浄御原令]]の頃に整備された。[[大宝令]]・[[養老令]]の[[後宮職員令]]には「宮人職員」として[[後宮十二司]]の[[職事]]と[[散事]]([[女孺]]・[[采女]]・[[氏女]])から構成されていた。宮人には[[官位相当]]が存在していないが、職事は[[四等官]]に相当するとされ、[[季禄]]支給の基準として[[准位]]が設定され、[[縫殿寮]]が考課を審査、これに基づいて[[中務省]][[叙位]][[位記]]を発給した。ただし、采女は[[采女司]]の管轄であった。また、後宮以外にも[[東宮職]]や[[斎宮寮]]には、それぞれ[[東宮]]・[[斎宮]]に仕える宮人がおり、その管理はそれぞれの官司が行った。
 
[[大化]]以前より律令制前期まで、後に「[[内裏]]」と称された[[ヤマト大王|大王]]・[[天皇]]の日常空間には男性官人は自由に出入りできなかったために[[奏上]]・[[宣下]]のことは女性である宮人を通じて行われるのが普通であった。ところが、奈良時代(8世紀)後期になると内裏の重要性が増して男性官人が内裏に立ち入ることは珍しくなくなっていった。この時期より、「宮人」という名称に代わって女性官人を意味する「'''[[女官]]'''」という呼称が用いられるようになった。