「施氏食獅史」の版間の差分

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チャオは、1982年に亡くなった、50歳未満の前に、彼の作品はパブリックドメインを入力しなかったので、ここにオリジナルと任意の言語を追加しないでください 翻訳-
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<!--チャオは、1982年に亡くなった、50歳未満の前に、彼の作品はパブリックドメインを入力しなかったので、ここにオリジナルと任意の言語を追加しないでください
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'''施氏食獅史'''(しししょくしし、{{lang|zh|Shī shì shí shī shǐ}})は、[[:zh:赵元任|趙元任]]が考案した全文九十一字、題名を含めて九十六字の文語文による[[言葉遊び]]である。[[声調]]を考慮しなければ、[[普通話]]では全ての字が[[拼音]]で shi 、[[注音符号]]で「ㄕ」と、まったく同じ読みとなる。漢字で書けば問題なく理解でき、中国語の他の方言で読んでも問題はないが、普通話には同音異字が多いため、普通話で読むか、[[ラテン文字]]で書くと理解が困難になる。
 
趙元任は中国語のラテン文字化の不合理さを例証するためにこのような文章を考えたとみる向きが多いが、ラテン文字化支持者によれば、趙元任は[[:zh:國語羅馬字|国語ローマ字]]制定の主要メンバーであったことから、ラテン文字化は口語にはふさわしいが文語には向かないことを説明しようとしただけであるという。
 
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